ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都
 

第二章



「ほら、あれなんかどうですか」
「どこですかー?」
「後ろから三列目の、千手観音から左に五つ目です」
 アンリエットが説明した場所の観音像は、金箔が大分剥げて黒ずんでいた。左右の観音像と同様、澄ました微笑を浮かべているが、他の物より口角が上がっているようにも見える。
「なるほど、他よりちょっと脳天気そうなスマイルがユーに似ているね」
「えへへ、照れますぅ」
 二十里の感想とそれにはにかむシャーロックに、アンリエットはふふっと忍び笑いを漏らした。
「それ、褒められてないわよ、シャロ……」
 エルキュールの腕にしがみついたまま、コーデリアはシャーロックへと顔を向け、軽く溜め息を吐いている。
「でも、どこかほっとするような雰囲気です……」
 囁くような小声で、エルキュールは目を細めた。が、不意に目を見開き、周囲をきょろきょろと見渡す。
「どうかしたんですか、エリーさん」
 シャーロックが尋ねると、エルキュールは眉を八の字に寄せた。
「その……何か、視線を感じて……」
 気のせいだとは思うんですけど……と言葉尻を萎ますエルキュールに、コーデリアは「ひっ」と息を呑み、彼女の左腕にぎゅっとしがみついた。一方、シャーロックはゆっくりと歩を進めながら、周囲をぐるりと見渡す。
 シャーロック達の周囲には他に人影はなく、通路の数メートル後方に、一般の観光客がまばらにいるだけだった。一方、進行方向の先には、ガイドが先導する集団が少し離れた場所にいて、ガイドが何やかんやと説明しながら進んでいる。
「我々は外国人ばかりで、しかも学生の集団だからな。ヨコハマと違って、ここでは珍しいのだろう」
 そうこぼす石流に、シャーロックは目を瞬かせた。
 確かにこの通路で遭遇した観光客は、ホームズ探偵学院一行に物珍しい視線を投げかけてはいるが、すぐに本来の目的である観音像の方に意識が向かうせいか、あまりじろじろ見られている実感はない。
 石流は眉を寄せると、隣の二十里を顎で指した。
「あと、こいつが目立っているせいもある」
「そうなんですか……?」
 振り返ったエルキュールに、石流は小さく息を吐き出した。
「黙ってさえいれば、こいつは外面が良いからな」
 たとえ二十里が変態レベルのナルシストであっても、それを知っているのは普段の言動を知っている自分達だけでしかない。
 石流の説明に、コーデリアはげんなりした面もちで頷いた。
「つまり、他の人には単なるイケメン教師に映っているということですか……」
「ふふ、キョウトでも視線を独り占めしてしまうなんて! 流石は美しいボク……!」
 うっとりとした面もちで、二十里がくるりと回転する。それを、石流がより低い声音で咎めた。
「回るな、騒ぐな、悪目立ちするな……!」
「やーん、石流君こわーい」
 声を潜めておどけてみせる二十里に、シャーロック達は苦笑を浮かべた。ネロと根津は二十里を呆れた面もちで見上げているが、エルキュールの表情から怯えは消え、コーデリアも暗闇の恐怖から僅かに立ち直っている。最も彼女の場合、出口に近づいているという安堵もあるのだろう。
 通路の先は右へと折れ曲がっていたが、うっすらと白い光が射し込んでいた。
 安堵した面もちを浮かべるコーデリアを先頭にして角を曲がって進んでいくと、軒下へと出た。ちょうど観音像の背面を真っ直ぐに進む形となっていて、二人が並べる程度の幅しかないが、裏庭に面した渡り廊下のようになっている。
 裏庭へと目を向けると、奥の方に松や柳が点在しているものの、黒い砂利が広がっていた。庭というよりは、横長い長方形の広場のようになっている。
「ここでは、正月に通し矢が行われます」
 ニュースで見たことないですか、とガイドは笑った。
「知ってます。成人式の時にやっている行事ですよね」
 眼帯の女生徒が小さく片手を挙げると、ガイドは大きく頷き返した。
「この庭が射場となるのですが、昔はこの軒下で射行われていました」
 三十三間堂の通し矢は、いつ頃始まったのかは定かではない。記録に残っているのは桃山時代からで、江戸時代には尾張藩と紀州藩とで激しく競われたという。
 当時の様子が浮世絵などに残っているが、弓を構えた武士が軒下に座し、その廊下の先に的が設置されていた。ここで屋根に当たらぬよう、真っ直ぐに矢を放っていたのだという。
 そして少し離れた庭に柵が横長く立てられ、そこから庶民が見学していたらしい。見物客が集まればそれ目当ての屋台も出ていて、大変な賑わいを見せたという。
「この通し矢が白熱したおかげで、弓具が一気に発達したそうです。現在弓道で使われているカケ……矢を持つ右手につける革手袋みたいなものですが、それもこの時代に今の形になったのだとか」
 ゆっくりと軒下を進みながら、ガイドは説明した。
「ガイドさんも出たことあるんですか?」
「ええ。二十歳の時に晴れ着と袴を着て、たすきをかけてやりましたよ」
 シャーロックの問いに、ガイドは笑みを返した。
 現在の通し矢は庭で行うので、屋根に当たる心配はしなくて良いし、距離も現在の弓道に合わせ、江戸時代の頃より大分短くなっているのだいう。
「といっても、参加できるのは弓道の段位を持った新成人と、称号を持っている者だけですが」
 それでも一生に一度の機会だからと、日本全国から大勢の若者が集まるらしい。
「その日は境内も入場無料になりますからね。毎年警備や誘導が大変です」
 深く息を吐くガイドに、シャーロックはあれっと違和感を感じた。しかしそれが何なのかが分からない。
 思案しているうちに、ガイドと生徒達はどんどん進んでいく。
「シャロ、どうかしたの?」
「あ、いえ」
 振り返るコーデリアに、シャーロックは小さく首を振った。そして慌ててその後を追う。
 軒下を真っ直ぐ進んでいくと、通路は左へと曲がり、本堂横にある小さな建物へと続いていた。そこは土産物売場となっており、透明なナイロン製の小袋の中に、弓に矢をつがえた形をした金色の金具が入ったお守りや、国宝の仏像が印刷されたクリアファイル、そして数珠などの仏具が売られている。
 シャーロックはケースの中を覗いたが、自由に使えるお金はあまりなく、何も買わずに出口へと足を向けた。アンリエットから旅行中のお小遣いを与えられてはいるものの、その金額はさほど多くない。それはネロ、エルキュール、コーデリアも同じで、ガラスケースの上に展示されているお守りを「可愛い」と話はするものの、手は伸ばしていなかった。ネロにいたっては、資金はなるだけお菓子に使いたいのだろう。興味なさそうな根津と共に、足早に出口へと向かっている。
 一方、他の生徒達は歓談しながら、それぞれのんびりと物色していた。それを横目に、シャーロックはエルキュール、コーデリアと共に出口へと進んだ。その後ろには、アンリエットや二十里、石流が続いている。
 土産物売場の出口の先に、げた箱が並んだ玄関があった。そこを右手に進むと、また本堂へと戻っていく。
 玄関の手前では、係員が待機しているゲートがあった。そこで、手首につけられたトイズ封じのブレスレットが回収されている。
 シャーロックは係員にブレスレットを外して貰うと、自分の靴を置いた棚へと向かった。そして靴を履き、建物の外へと出る。
 正面は大型バスの駐車場になっており、シャーロック達が乗っていたバスも含め、国内様々な場所から観光バスが集まっていた。バスの列の奥には白壁が覗き、その先には片道二車線の七条通りが横に伸びている。
「ねぇねぇ、バスのとこにいるあの女の人、誰だろ?」
 ネロの言葉に、シャーロックは自分達の乗ってきたバスへと目を向けた。


ほーむ
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