第二章
最前列はアンリエットと根津で、その隣ーー運転手の真後ろが、しおりで指定されたシャーロックの席だった。窓際には既にネロが陣取っており、その後ろの座席には、窓際にエルキュールが、通路側にコーデリアが座っている。 シャーロックがネロの隣に腰を下ろすと、アンリエットは通路に立ったまま、車内をゆっくりと見渡した。席はほぼ埋まっており、左側の前二列を残すだけになっている。 根津がバスの階段を上がってくると、アンリエットは窓際の席を彼に譲った。そして通路を挟んでシャーロックの隣となる最前の席に腰を下ろす。 二十里が乗り込んで来ると、その後ろに石流が続いた。そしてそのままアンリエットの真後ろの席へと入っていく。 全ての荷物を積み終えると、運転手はスライドさせた扉を下ろし、運転席へと回り込んだ。そしてその横にある扉を開き、席に飛び乗るような格好で腰を下ろして、扉を閉める。 その間に、ガイドもバスへと乗り込んだ。階段を上がりきると、出入り口の扉が自動で閉まっていく。おそらく運転手が操作したのだろう。 ガイドが運転席横にある取っ手を掴むと、通路と階段を遮るように広がった。それはバスガイド用の腰当てになっているらしく、鉄製の取っ手の内側には柔らかなクッション生地が縫いつけられている。左脇の棚の上から小さなマイクを取り出すと、彼女は口元へと運んだ。 「では改めまして。ヤサカ観光社の筑紫澪と申します。そしてこちらは運転手の」 「真木はじめでーす!」 ガイドは再び名乗ると、軽くお辞儀をした。一方で運転手は、ミラー越しに車内へと顔を上げ、頭上の帽子を軽く持ち上げている。 「これから三日間、私たちが皆様のお世話をさせて頂きます。宜しくお願いします」 簡潔な挨拶に、シャーロック達も釣られたように頭を下げる。すると、シャーロックの隣で小さく頭を下げながら、ネロが小首を傾げた。 「三日間?」 そして顔を上げ、ガイドへと目を向ける。 「四日じゃないの?だって、三泊四日でしょ?」 率直な問いに、澪は唇の両端を軽く持ち上げた。 「三日目の市内研修は、私達ではなく別の者が担当しますので」 なので三日間です、と説明するガイドに、何人かの生徒達は「へぇ」「そうなんだ」と大きく目を瞬かせている。 「お前にしては、珍しくよく気付いたなぁ」 根津が、感心したような眼差しで身を前方へと乗り出した。そこは小さな机のように平たくなっており、バスの出入り口になっている階段を車内から遮っている。 「当たり前じゃん」 自慢げな態度のネロに、根津は呆れた面もちを浮かべている。 「あのぅ、ガイドさん」 シャーロックは、眼前に立つ澪を見上げた。 「何でしょう?」 「どうしておこしやす、じゃないんですか?」 「え?」 シャーロックの言葉に、澪は何度も目を瞬かせている。 「ちょっ、ちょっとシャロ……」 「あ、それボクも思った」 シャーロックの真後ろに座るコーデリアがたしなめると、横からネロが口を挟んだ。 「ガイドさん、なんで京都弁じゃないの?」 単刀直入なネロの言葉に、澪は片手を口元にあてている。 「探偵学院の皆さんは、海外からお越しの方が多いと聞いていましたので」 聞き取りやすい標準語を話せる者を、ということで自分が担当になったのだと説明すると、車内を見渡し、にこりと笑う。 「ようこそ、おこしやす」 京都弁独特のイントネーションに、生徒達から歓声が上がった。 「すみません……」 「いえいえ」 アンリエットが詫びを入れると、澪は苦笑を浮かべた。 「京都弁は大阪弁と大差ないと思われがちですが、発音だけではなく、意味やニュアンスが異なる言い回しが多いんですよ」 だから皆様の前では標準語で喋ります、と言葉を続けた。そして胸元に両手を持ち上げ、マイクを掴んだままぽん、と軽く叩く。 「では、そろそろ本題に入らせて頂きますえ」 京都弁独特のイントネーションで告げると、彼女は再び標準語に戻った。 「今日はこれから、三十三間堂、国立キョウト博物館、清水寺などを回りますが、まずはこのワッペンを胸元に付けて下さい」 そう告げると、ガイドは運転席と通路を遮る柵に下げられた小袋から、布製の小さなワッペンを取り出した。黒枠に囲まれたベース形のそれは、掌よりは一回り小さい。水色の生地が二重になっていて、表側には、川を表現したような水紋と梅の文様が朱糸で描かれていた。車体と同じマークで、その上には「ヤサカ観光」という文字が金糸で縫いつけられている。シャーロックがワッペンを裏返すと、裏面には、安全ピンが取り付けられていた。 「これは、皆様が我が社のお客様だという目印です」 会社のマークなのだと説明し、澪は通路をゆっくりと進みながら、通路側にいる生徒達に二枚ずつ手渡していく。 「博物館やお寺など、入場料がいる場所では先に料金を払っていますから、これがあればゲートを素通りできるようになっています」 なので見えやすい胸元に必ず付け、絶対に無くさないで下さいと念押した。 「先生方もお願いしますね」 ガイドは先頭に戻ってくると、アンリエットの背後の席に座る二十里と石流に微笑を向けた。二十里は物珍しげにワッペンをひっくり返したり、陽にかざしたりしていたが、隣の石流に小突かれ、ジャケットの胸ポケットの上に留めている。 皆が胸元に付け終わった頃合いに、バスのエンジン音が低く響いた。そしてゆるゆると駅前の駐車場を滑り出し、車道へと入っていく。 小さく揺られながら、ガイドは今日の日程を説明し始めた。 まずは三十三間堂へと向かい、次に正面の国立キョウト博物館へ行くのだという。そこでセキュリティ担当者から、怪盗への対策や、探偵とどう協力しているのかという説明を受けながら館内を見学し、それから徒歩で六羅波蜜寺、六道珍皇寺、清水寺へと移動するということだった。 そして清水寺見学後は、三年坂経由で八坂神社へと歩き、そこからバスで南禅寺へと向かうのだという。そして南禅寺を見学後は、再びバスでキョウト市役所に移動し、そこでキョウトの怪盗対策や特異性について、市長からの特別講話があるのだという。 シャーロック達は手元の旅のしおりで確認しながら、ガイドの説明に耳を傾けた。その間にもバスは、新幹線が走る陸橋をくぐり、駅の北側へと抜けていく。 大通りを右へと曲がると、バスが進む道の正面の山の麓に、瓦屋根と細長い塔が小さく見えた。おそらくあれが清水寺なのだろう。 「では、他に質問などありますか?」 橋を渡ればまもなく国立キョウト博物館ですと続けたガイドに、シャーロックは勢い良く片手を上げた。 「何でしょう?」 柔らかな笑みと共に、ガイドにマイクを手渡される。シャーロックはそれを受け取ると、大きく唇を開いた。 「あの、何で行きの新幹線、車両が貸し切り状態だったんですか?」 ガイドに座席の事を尋ねると、彼女は不思議そうに首を傾げた。何か問題があったのかと尋ねる彼女に、シャロはしおりにある座席表を見せながら、行きの車両がどういった状態だったかを説明する。 その話を一通り聞き終わると、ガイドはさらに首を傾げた。 「犯人はガイドさんじゃないんですか?」 シャーロックが真っ直ぐに彼女の顔を見上げると、彼女はその視線を受け止め、苦笑を浮かべた。 「私ではないですね」 「そうですかぁ……」 シャーロックからマイクを返されると、ガイドは眉を寄せたまま、唇の両端を持ち上げた。 「でもまぁ、問題はなかったようですから良いじゃないですか」 楽観的な口調で、伸ばした人差し指を顎にあてている。 「この街では、不思議な事は大抵、天狗の仕業って言われますしね」 「天狗……ですか」 アンリエットは、切れ長の瞳をガイドへと向けた。彼女はそれを正面から受け止め、口元を緩めている。 「ええ、天狗です」 天狗の仕業、天狗の仕業、と歌うように口ずさみ、人差し指だけをくるくると胸元で回した。そしてマイクを左手に持ち直し、右手を横へと持ち上げる。 「では、皆様右手の方をご覧ください」 朗々とした声をマイクに載せ、右側の窓辺へと顔を向ける。それに釣られるようにシャーロック達が右の窓辺へと眼を向けると、黒の瓦屋根と、それをぐるりと囲む白い塀が目に入った。 「こちらが、源頼朝に日本一の大天狗と評された後白河上皇によって建造された、三十三間堂です」 * * * * * * * * * * * * |