ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都
 




「さて、トイズ以外に、名探偵に必要なのは五つの能力と言われているけど、それが何か分かるかい?」
 二十里はくるりと一回転すると、ダンサーのように片足を上げたたまま、ミルキィホームズを見下ろした。
「何でしょう?」
「さぁ……何かしら?」
「五つもあるのぉ?」
「わ、わかりません……」
 顔を見合わせる四人に、二十里は車内を見渡した。
「誰か分かるかい?」
 だが、皆戸惑いの表情を浮かべて押し黙っている。
「観察力、推理力、博覧強記、直感力、人脈ですわ」
 そう答えたのは、アンリエットだった。
「それぞれの能力については、いずれ二十里先生に授業で説明していただくとして……」
 アンリエットは微笑を浮かべると、席から身を乗り出して自分を見つめる生徒達を見渡した。
「人脈に関しては、貴方達は卒業すれば、ホームズ探偵学院一期生です。この学院で培われた友情は、貴方達だけが持ち得る掛け替えのない財産になるでしょうね」
 どこか遠くを見つめるように微笑を湛えるアンリエットに、皆は大きく目を瞬かせた。
「そっか……。私達はライバルであるだけでなく、同じ学院を卒業した仲間でもあるんですね」
 赤縁眼鏡の女生徒からしみじみと吐き出された言葉に、席から大きく身を乗り出している安部が、大きく頷いている。
「我々が大人になった頃には、探偵同士協力して事件に当たる未来が来ているのかもしれないな……」
 探偵と警察は協力関係にあるものの、その仲は決して良好ではない。同様に、探偵同士であっても同業のライバルであるから、決して良好な関係だけではない。
「ま、それは君達次第だよ」
 揺れる車内でありながら、二十里は片足を上げた姿勢のまま微動だにせず微笑んだ。やがてゆっくりと足を下ろし、唇の両端を軽く持ち上げる。
「現在日本で高名な探偵といえば、小林オペラを筆頭に、関東では畔柳(くろやなぎ)隆一郎、関西では朱雀三門やコロン・ポーかな」
「コロンちゃんならお友達ですー!」
 二十里の言葉にシャーロックが片手を挙げると、ネロも大きく頷いた。
「一緒に変質者の事件を解決したよね」
 その発言に、隣の根津が怪訝そうに眉を寄せている。
「あれってG4が解決したんじゃねーのかよ」
「その手柄をG4に譲ってやったんだよ」
「はぁ? 意味わかんねぇよ」
 疑う眼差しの根津に、ネロは胸を反らせた。
「そういえば、匿名の電話が逮捕に繋がったと報道されていましたが……」
「それ、私達ですよー」
 アンリエットの言葉に、シャーロックはにぱっと笑みを浮かべている。
「嘘くせぇ……」
 ぼやく根津に、ネロが突っかかった。
「なんだよ、僕達が嘘吐いてるって思ってるのかよ」
「だって、しょっちゅう嘘吐くじゃん、お前」
 再び言い合いを始めた二人に、アンリエットは軽く柳眉を寄せた。
「なんだか収集がつかなくなってきましたわね」
 二十里も同意するように、大きく肩をくすめて苦笑している。
「ねぇねぇ、そんなことよりも、はやくお昼にしようよ!」
「お前、さっきまでボリボリ菓子喰ってたじゃねーか」
 アンリエットへと身を乗り出すネロに、根津は呆れた眼差しを向けた。
「そうですわねぇ……」
 アンリエットは唇の端を軽く持ち上げると、ふっと窓辺へと目を移した。シャーロックもそれに釣られて車外の景色へと目を移すと、海が広がっていた。海岸沿いに車道が伸び、その手前には水辺が広がっていて、新幹線はその上を走っている。反対側の窓辺へと目を移すと、そちらにも水辺が広がっていた。
「うわぁ、海の上ですかねー?」
 シャーロックが感嘆の声を挙げると、アンリエットが「浜名湖ですよ」と口にした。そして、石流の方へと顔を向ける。
「仕方ありません、そろそろお昼にしましょう」
「はっ」
 その言葉を受け、石流が座席から立ち上がった。
「では二十里先生、臨時授業はここまでということで」
 その宣言に、二十里は「了解デース!」とくるくると回っている。
「わーい、お弁当ですー」
「駅弁食べるの、久し振りだなぁ」
 ネロとシャーロックは両手を挙げて喜んだ。コーデリアはうきうきとした笑みを浮かべ、エルキュールは膝の上の文庫本にカバーを掛け直し、足元に置いた鞄へと仕舞っている。
 立ち上がった石流は、手にした文庫本をジャケットの内ポケットに入れると、頭上の棚へと手を伸ばした。五個ずつにまとめられた弁当を少しずつ下ろし、椅子の上に置いていく。
 隣の赤縁眼鏡の女生徒は座席から素早く立ち上がると、五個ずつにまとめになった弁当を両手で抱えた。そして慎重に足を運び、安部達のいる隣のボックス席へと配っていく。
「すまないな」
 礼を告げる石流に、赤縁眼鏡の女生徒ははにかんだ。
「いえ、これも委員長としての仕事ですから」
 そして再び石流の椅子へ足を運ぶと、弁当をてきぱきと配っていく。
 全ての弁当を棚から下ろした石流は、一つだけ違う包装の弁当をアンリエットへと手渡し、手近の生徒達へ配った。そして最後に、ミルキィホームズ達の分を渡していく。
 生徒達の分はヨコハマ名物のシュウマイ弁当だが、アンリエットの分だけ、少し豪勢な弁当になっている。
 生徒全員に弁当が行き渡り、赤縁眼鏡の女生徒が席に座ったのを見届けると、石流は背後で未だ回転している二十里に、冷ややかな視線を向けた。
「貴様はいい加減に服を着ろ」
「つまんなーい、ボクを見てくれなきゃつまんなーい!」
 だが、二十里は不満げに唇を尖らせている。
「子供か、貴様は」
 吐き捨てる石流に、眼帯をつけた女生徒が上目で二十里を伺った。
「でも、先生が服を着てくれないと私達もご飯が食べにくいので……」
「そうか、美しいボクに見とれて困るということだね!」
 ならば仕方ない、と二十里は自分の席に放置されている衣類を手に取り、手早く身につけていく。
 その様子に、赤縁眼鏡の女生徒と眼帯の女生徒は、安堵の息を漏らした。そして丁寧に包装を解き、弁当の蓋を取っていく。
「おべんとおべんとうっれしいなっ」
 包装を乱雑に破きながら歌うネロに、根津は呆れた眼差しを向けた。
「お前、ホント悩みなさそうだよなぁ」
「何? おかず分けてくれるの?」
「何でそうなるんだよ」
 軽口を叩き合いながらも、二人はいそいそと弁当を広げていく。
「アンリエット会長のお弁当、餃子が入ってるわ!」
 コーデリアが羨ましげな声を挙げると、アンリエットは「そちらのおかずと交換しましょうか」と提案した。
「ええ……でも……」
 遠慮がちな言葉を口にしながらも、コーデリアは自分の弁当を差し出している。
「ではこの焼売と交換しましょう」
「有り難うございます!」
 箸でおかずを入れ替えるアンリエットに、コーデリアは満面の笑みで礼を告げている。
「いいなぁ。アンリエットさん、私とも交換して下さい!」
「僕も僕も!」
「あの……私も……」
 シャーロックが弁当を差し出すと、ネロも同様に弁当を突き出した。エルキュールも、遠慮がちではあるがしずしずと自分の弁当を差し出している。アンリエットは差し出された弁当に自分の弁当を近づけると、箸で器用に摘んで、彼女達の弁当にはないおかずを分け与えた。そして代わりに、彼女達の弁当にある焼売や卵焼きを摘み、自分の弁当の空いた場所へと入れていく。
 その様子をじっと見つめる根津に気付くと、アンリエットは微笑みを向けた。
「あら、根津さんも交換希望ですか?」
「え、いやそのっ、俺は別に……っ」
 真っ赤になって顔を背ける根津に、ネロが「羨ましいんだろー」とはやし立てている。
「お前達、はしたないとは思わんのか」
 諫める眼差しを向ける石流に、アンリエットは穏やかな笑みを返した。
「たまには良いではありませんか」
「はぁ……。アンリエット様が宜しいのでしたら」
 釈然としない面もちになる石流に、隣席の赤縁眼鏡の女生徒は、意を決したように顔を上げた。
「いいい石流さん、折角ですし、何かおかず交換しましょう!」
「……同じお弁当なのに?」
 眼帯の女生徒の端的な指摘に、赤縁眼鏡の女生徒が赤く染まった頬を引きつらせる。
「ああああ、そうだった……!」
 弁当を膝に載せ、窓辺にもたれ掛かるようにうなだれている。
「なんだ、欲しいのか?」
 石流は隣席の女生徒に僅かに眉を広げると、自分の弁当に入っている卵焼きを彼女の弁当に載せた。
「お前は確か、卵料理が好きだったな」
 微かに目を細める石流に、赤縁眼鏡の女生徒はさらに顔を赤くしている。
 そのやりとりを横目で伺っていたエルキュールは、口にの中にあった焼売を咀嚼すると、ぽつりとこぼした。
「そういえば……石流さんと一緒にご飯を食べるのは初めてです……」
「え、そうだっけ?」
 エルキュールの呟きに、根津は目を瞬かせている。
「そういえばそうだよね」
 ネロは焼売を口の中へと放り込み、小さく頷いた。
「言われてみれば……?」
 コーデリアは餃子を箸で摘み、僅かに首を傾げている。
 学院があった頃は、石流は生徒の食事中は給仕をしていた。仮校舎になった現在でも、そのスタンスは変わっていない。
「石流さんって、いつご飯を食べているんですか?」
 興味津々にシャーロックが尋ねると、石流はぽつりと答えた。
「皆の食事の後だが」
「お腹空かないんです?」
「特には」
 さらに質問を重ねる彼女に、石流は素っ気ない。
「でも君って、意外と小食だよね?」
「作りながら味見をしているせいだと思うが」
 人並みだ、と二十里と他愛もない会話を交わしながら、石流は俵型の小さなおにぎりを箸で掴むと、口元へと運んだ。無言で顎を動かし、大きく喉元を動かす。
 その様をエルキュールがじっと見つめていたが、石流の鋭い眼差しとぶつかると、慌てて目をそらした。
「なんだ」
「あ、いえ、なんでも……」
 エルキュールは俯いたまま赤面し、おにぎりを箸で摘み、口元へと運んでいる。
 シャーロックがもぐもぐと口を動かしながらその様子を眺めていると、隣席のアンリエットが箸を置き、その細い指先を口元へと伸ばした。
「シャーロック、口元にお米が付いていますわ」
 ここです、と自分の唇の左端を指さす。シャーロックは慌てて箸を弁当箱の上に置くと、彼女が指さす場所へと手を伸ばした。確かにそこに、小さな米粒が一つ付いている。
「えへへ」
 シャーロックはそれを摘み、素早く口の中へ放り込んだ。照れ笑いをアンリエットに返し、再び箸を手に持って、弁当を食べ始める。
 箸で摘んだ焼売を口の中へと運ぶと、シャーロックは窓辺へと目を移した。
 新幹線は巨大な湖を抜け、車窓には乾いた土が広がる田園が広がっていた。ぽつぽつと立ち並ぶ一軒家を繋ぐように細い車道が伸び、その奥には深い緑の山々が立ち並んでいる。徐々に家々が増え、やがて灰色の防音壁がその景色を塞ぐと、瞬く間にホームを駆け抜けた。車内の扉の上にある電光掲示板へと目を移すと、通り過ぎた駅名が表示されている。
「愛知に入ったようですわね」
 電光掲示板を見つめていたアンリエットが、柔らかな声音をこぼした。
「もうすぐナゴヤですわね」
 何気ない口調ではあったが、紫水晶のような瞳をすっと細めている。何かを考え込むような眼差しに、シャーロックは小首を傾げた。
「アンリエットさん?」
 話しかけると、アンリエットは「なんでもありません」とすぐに柔らかな眼差しへと戻る。
「ナゴヤ城、見えますかねー?」
 屋根に大きな金の魚が載っているんですよね、とシャーロックが言葉を続けると、アンリエットは小さく頷いた。
「シャチホコというのですよ、シャーロック」
 そして小さくクスリと笑みを零す。
「見えると良いですわね」
 その微笑みに、シャーロックは「はい!」と満面の笑みを返した。
 



ほーむ
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