ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都
 




「他の車両はそれなりに埋まっていましたよね……?」
 困惑が含まれたエルキュールの言葉に、シャーロックは、新幹線が新ヨコハマ駅に滑り込んできた時の光景を思い浮かべた。他の車両には、出張であろうサラリーマンだけでなく、旅行客もそれなりにいた。しかし自分達の乗る車両の座席だけが、ぽっかりと空いていたのだ。
 平日の午前中とはいえ、彼岸入りと称される三月下旬。大抵の学校は春休みに入る直前ではあったが、まるで貸し切りになったかのような車両に、シャーロックは首を傾げた。
「たまたま空いてただけなんじゃないの?」
 ネロは気にした風でもなく、ポテトチップスの袋に片手を突っ込んでいる。
「それにさ、席を予約する時に、僕らみたいな団体客がいれば分かるじゃん? だから静かな方がいいサラリーマンとかが避けてるだけだと思うよ」
 ネロはポテトチップスを頬張りながら、修学旅行生やツアー観光客などが席を確保している場合、ネットや窓口でチケットを買う時に団体マークが表示されると説明した。
「へぇ、そうなんですかぁ」
 シャーロックが感心した面もちでネロの説明に耳を傾けていると、二十里は彼女たちの方へと半身を向けた。
「なら、今回の座席を事前にチェックしてみたかい?」
 唇の片端を持ち上げる二十里に、ネロは眉を寄せている。
「どういう意味?」
「そのままの意味さ」
 指に付いた塩を舐め取るネロを見返しながら、二十里は蒼い瞳をすうっと細めた。
「君達には、どの時刻の新幹線の何号車に乗るか、三日前には教えたよね?」
 腕を組む二十里に、ネロは素直に頷いた。いつになく真面目な二十里の口調に、生徒達も何事かと口を噤み、彼の方へと顔を向けている。
「君達も将来探偵になったら、こんな風に依頼人からチケットを貰って現地に向かうこともあるだろうね。その場合、ネットなり窓口なりで、周囲の予約状況を事前チェックする癖はつけておきたまえ」
 二十里は席からすっと立ち上がると、生徒達を振り返った。珍しく真面目な表情で語る彼に、生徒達はぽかんとした面もちで見上げている。
「どうしてですか?」
 コーデリアの問いに、二十里は肩をすくめてみせた。
「依頼人が偽物だったり、悪意があったりしたらどうするんだい?」
「えっ……?!」
 二十里の指摘に、その発想はなかったと誰もが目を丸くした。
「かつて小林オペラが解決した瀬戸大橋SL列車事件、前に授業で取り上げたよね?」
 二十里がコーデリアを指さすと、彼女は小さく頷いた。
 小林オペラが解決した初期の事件の中に、そうと呼ばれるものがある。小林オペラが依頼人と共に愛媛の道後温泉まで向かう途中、瀬戸大橋を渡る特別観光列車の中で、同じ車両に乗り合わせた婦人が持つサファイアの指輪が怪盗に盗まれるという事件が発生した。実は依頼人は小林と会った時点で怪盗とすり替わっており、しかも同じ車両にいた乗客は全て、指輪の持ち主以外はその怪盗の仲間だったという顛末だったのだが、そのトリックを小林が暴いた発端が、手配されたチケットと車両を確認するところから始まっている。結果、小林の慎重さと迅速な推理の展開で、列車が停車駅に着く前に犯人を暴き、無事に指輪を取り戻すことが出来たーーという事件だった。
「さて、君達のどれくらいが、そういう事前調査をしたのかな?」
 腰に両手を当ててぐるりと見渡す二十里に、ネロは不満げに眉をひそめた。
「する必要あるの?」
「していれば、ちょっと妙だと気付いたはずだけどね」
「え?」
 その言葉に、ネロと根津は顔を見合わせた。コーデリアは小首を傾げ、エルキュールは不安げに俯き、手にした文庫本を閉じて膝の上に載せた。赤縁眼鏡の女生徒も大きく目を瞬かせ、眼帯の少女も訝しげに眉を寄せている。
 周囲の生徒達が怪訝な表情を浮かべる中、アンリエットと石流だけは動揺した様子がない。
「もしかして、アンリエットさんは確認したんですか?」
 シャーロックが隣のアンリエットへと目を移すと、彼女は口元を綻ばせて小さく頷いた。
「ええ、もちろん」
「じゃぁ、石流さんも……?」
 声をひそめる根津に、石流は金色の双眸を向けた。
「当然だ」
 押し黙る生徒達に、二十里は上体を仰け反らせ、片手で前髪を大きく払った。
「あぁ、なんという事だい!」
 大袈裟に落胆したような素振りを見せ、ジャケットの胸元を両手で掴むと、鋭い眼差しを生徒達へと向けた。
「君達ィ! これは研修旅行であって、ただ遊びに行く訳じゃないんだよ?」
 そして紅のジャケットを手早く脱ぎ捨て、憂いの表情を浮かべると、各自端末で確認するよう指示を出した。
「美しい探偵を目指すなら、こういう下準備は華麗に済ませたまえ!」
 宙に舞ったジャケットが、すとんと二十里の席へと落ちていく。
 生徒達はそれぞれ鞄から端末を取り出すと、慌てて操作を始めた。やがて、ぽつぽつと怪訝な声が生徒達から漏れ始める。
「あれ?」
「なんでこの車両の席、全部予約で埋まってるの?」
「どうしてだと思う?」
 ネクタイを片手で引き外しながら、二十里が声を挙げた生徒達の方へ足を進めていく。
「えーっと、旅行会社の人が、人数が確定する前に先に座席だけ押さえた……?」
 安部の言葉に二十里はくるりと振り返り、彼の背もたれの上に片腕を置いた。
「それなら全部団体客で埋まってるはずだよね?」
「あっ、でも、ええー?」
 彼の液晶を覗き込むように見下ろす二十里に、安部は眉間に強く皺を寄せている。戸惑いを浮かべながら画面を凝視しているが、その唇からは唸り声しか出てこない。
 他の生徒達も同様で、皆、手元の液晶を見下ろしたまま戸惑いを浮かべている。
「それじゃぁ、キョウトに着くまでレッツシンキング!」
 二十里は上半身を起こすと、一気にYシャツのボタンを外し、バッと脱ぎ捨てた。宙を舞ったそれは、ふわふわと二十里の座席へと落ちていく。
 白のYシャツが紅のジャケットの上に落ちると、石流は冷ややかな視線を二十里へと向けた。
「こんな所で服を脱ぐな」
「別にいいじゃないか。キョウトじゃ脱げないんだからさァ」
「いいわけないだろう。隣の車両から見られたらどうする」
「良いんだよ、見せているんだから!」
 見られなければ意味がないと答える二十里に、石流は声を荒らげた。
「私が脱ぐなと言ったのは、旅行中という意味で言ったんだ。キョウト以外では裸になっても良いという意味ではない!」
「そんなの関係ナッシング! さぁ、君たち! 答えに詰まったなら美しいボクを見るといい!」
 ついにネクタイも放り出し、上半身裸になってくるくると回り始めた二十里に、石流は指先で眉間を押さえた。深く溜め息を吐くその様を、真横に腰を下ろす黒縁眼鏡の女生徒と、通路を挟んで隣に座るエルキュールがそっと横目で伺っている。
「落ち着いて考えてみなさい、シャーロック」
 柔らかな声音にシャーロックが顔を向けると、隣のアンリエットが穏やかな笑みを浮かべていた。
「落ち着いて考えれば、貴方達にもきっと分かるはずですよ」
 励ますような口調に、シャーロックは大きく頷き返した。そして自分のPDAを足下の鞄から取り出し、電源を入れる。
 まずは二十里が指摘したように、新幹線の予約サイトへと飛び、予約状況確認画面を表示させた。自分達が乗っている新幹線を表示させると、車内の座席が長方形の図面として現れる。自分達の座席を確認すると、車両内は全て購入済みを示す紫色で塗られ、その中央にある二列だけ、団体客を意味する「団」の文字で埋められていた。
 つまり予約状況画面で見る限り、この車内は満席ということになる。だから、この予約サイトや駅では、この車両の席を購入することは出来ないだろう。だが、例え事前購入された指定席であっても、当日そこに購入者が座っていなければ、車内で車掌から購入し、座席変更をすることが出来る。
「つまり、一時的にしろ、この車両に私達以外を乗せたくなかったってことですか?」
 シャーロックはPDAから顔を上げ、アンリエットへと目をしばたたかせた。その推測に、アンリエットは満足げに微笑を浮かべ、無言で頷き返している。
「目の付けどころは悪くないね、シャーロック・シェリンフォード!」
 二十里は上半身裸のまま生徒達の間を踊るように移動していたが、シャーロック達の席前でぴたりと足を止めた。そして、良いところに気がついたと誉めるように、大きく頷いている。
 片手でポテトチップスを口元へ運んだ姿勢のまま、隣のコーデリアのPDAを覗き込んでいたネロは、二十里へと顔を向けた。そして手にしていたポテトチップスを口元へと運び、もぐもぐと咀嚼する。
「でもさぁ、何でそんな事をするのさ?」
 その問いに、シャーロックは大きな瞳を瞬かせ、大きく首を傾げた。
「何故だと思う?」
 二十里に尋ね返され、ネロは顔をしかめた。その隣では、根津は手元のPDAから顔を上げ、眉をひそめている。
「大体、こんな面倒な事、誰がするんだよ?」
 車体の大半を占める空席が、実際は購入され済みだった。となれば、当然誰かが座っているべきはずなのに、実際には、自分達ホームズ探偵学院の生徒しか乗っていない。
 運行に大きな乱れがあったのならともかく、これは明らかに不自然だった。ただの偶然ではなく、誰かの意図があるとしか思えない。
「旅行会社ではない、わよねぇ……?」
 コーデリアが、首を傾げながら呟いた。
「でもさぁ、旅行会社なら、一括して団体扱いで確保すれば済む話じゃん?」
 その方が安いし手っとり早いし、とネロが続けると、エルキュールは自分のPDAを見下ろしながら、考え込むように口元に片手をあてている。
「でも、そうじゃないということは……たぶん、別の誰か……?」
 囁くようなエルキュールの推測に、シャーロックは再び首を傾げた。
 今回の研修旅行の費用は、キョウト市長ーーつまりキョウト市が負担するとアンリエットから説明があった。だからこれが第三者の仕業だとするならば、旅行会社が手配した席を把握した上で、行われているということになる。
「まぁその辺りは、キョウトに着いてから、旅行会社の人に訊いてみてもいいんだけどね」
 肩をすくめる二十里に、根津は呆れた眼差しを向けた。
「しらばっくれるんじゃねーの?」
 彼の意見に同意なのか、二十里は苦笑を返している。
「もし旅行会社がやったのでなければ、誰か」
 アンリエットは、ミルキィホームズをゆっくりと見渡した。
「そして、何の為に行ったのか」
 凛とした声音に、生徒達は自分達の座席から身を乗り出し、彼女の言葉に耳を傾けている。
「アンリエットさんの推理を聞かせて下さい!」
 目を輝かせて尋ねるシャーロックに、アンリエットは微笑を浮かべた。



ほーむ
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