ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都
 

第一章


7

「で、ボク達に話って?」
 二十里は腕を組んで壁に背を預け、正面の石流を見下ろした。根津は二十里の傍らで胡座を組み、石流に差し出された座布団の上に乗っている。
 石流に呼び出された根津と二十里は、アンリエットやミルキィホームズを仮宿舎まで送った後、密かに彼の部屋に集まった。
 石流は床に正座し、両手を両膝の上に載せて僅かに顔を伏せている。そこから数歩離れた壁際で、根津は半纏の裾を床に垂らし、両手を両足首の上に載せていた。そして興味津々といった面もちで周囲を見渡している。
 年相応の仕草に二十里は頬を緩め、石流の部屋を一瞥した。
 間取りは二十里の部屋と全く同じだが、床に絨毯を敷くこともなく、フローリングのままにされている。家具らしいものも殆どなく、小さな箪笥とカラーボックス、そして折り畳まれて窓辺に立て掛けられた木製の円形テーブルしか見当たらなかった。縦向きに置かれたカラーボックスは本棚代わりに使用されているようで、二段に分けられた上の段には文庫本や新書が並び、下の段には大きめの書籍が整頓され、収納されている。本は殆ど料理関係のもののようだったが、文庫本の方には、新古今和歌集や方丈記など、日本の古典が見受けられた。
 これならばミルキィホームズを部屋の中に招き入れても問題なかっただろうが、何かの弾みで怪盗時の衣装や刀が見つからないとも限らない。
 二十里が石流に視線を戻すと、彼は顔を上げ、根津と二十里へ切れ長の瞳を向けた。
「キョウトの件だ」
 至極真面目な表情で、静かに話を切り出す。
「アンリエット様が捨陰天狗党に狙われている」
 剣呑な内容に、二十里は目を細めた。同様に根津も強く眉を寄せている。
「なんで?」
「私の主だからだ」
 石流の返答に、根津は不思議そうな面もちを浮かべた。「何が何でも私を連れ戻したい者達がいるらしい」
 淡々と吐き出された言葉の意味を計りかね、根津は眉を寄せている。石流は僅かに目を伏せた後、真っ直ぐに根津を見据えた。
「私はかつて、捨陰天狗党員だった」
 呼吸のようにさらりと吐き出された告白に、根津は大きく目を見開いている。
 意味が分からないと言いたげに動揺を見せる根津に、石流は冷静な面もちを向けた。
「私の出身は、キョウトだ」
 そして小さく息を吐く。
「親が捨陰だったから、そのままなし崩し的にな」
 初めて耳にする話に、へぇ、とかふぅん、といった間の抜けた声を漏らし、ぽかんと口を開けている。同意を求めるように二十里へ顔を向けると、やがて眉をひそめた。
「……お前は驚かないんだな」
 拗ねたような険しい眼差しに、二十里は小さく肩をすくめる。
「なんとなくそんな気はしていたからね」
 二十里が苦笑を浮かべると、根津は僅かに唇を尖らせている。
「じゃぁ、アンリエット様には……?」
 不安げな眼差しを戻す根津に、石流は「既にお話している」と、小さく頷き返した。
「私は捨陰に戻る気は毛頭ない。その意志も明確に伝えた。だが、向こうは強硬手段に出てくる可能性がある」
「なら、どうして「助けて欲しい」じゃないんだい?」
 二十里は、垂れ目がちの瞳を石流へと向けた。
 石流を連れ戻す為に、アンリエットが狙われる。その理由は分からなくもない。だが、狙われているのはあくまで石流であって、アンリエットはその手段でしかないだろう。だが石流は、自分の身よりもアンリエットの方を案じている節があった。部下としては当然だろうし、彼らしいといえばそれまでだったが、二十里には妙に腑に落ちないものを感じている。
「自分の事は自分でどうにかする。だからもし私に何かあっても、見捨ててくれて構わない」
 石流はそう言い放つと、真っ直ぐに二十里を見返した。
「だが、アルセーヌ様を巻き込む事だけは避けたい」
 おそらくそれが、彼にとっての最優先事項なのだろう。
 だが、自分の事を見捨ててもいいとまで断言する彼に、二十里は眉をひそめた。
「どうしてボク達に話したんだい?」
 これまで石流は、己の過去については固く唇を閉ざしていた。元から口数が少ないこともあるが、こうして打ち明けてくるのはかなり珍しい。むしろ、初めての事でもある。
 石流は瞼を閉じると、ゆっくりと開いた。
「今の私の仲間は貴様等だからだ」
 そう静かに告げ、二人を見やる。
 予想外の言葉に、二十里は軽く目を見開いた。根津も大きな瞳を瞬かせ、軽く眉を寄せている。
「アルセーヌ様を護る為に、力を貸して欲しい」
 石流は両手を床について膝前で揃えると、長い前髪が床につくほどに深く頭を下げた。その姿に二十里と根津は目を剥き、顔を見合わせる。
「そ、そりゃ、言われるまでもないけどさぁ……」
 他人を頼る石流を初めて目の当たりにして、根津は強く眉を寄せ、頬をかいた。しかしその口元は少しばかり緩められ、頬が僅かに上気している。頼られる事が、素直に嬉しいのだろう。
 だが、二十里は内心眉をひそめた。怪盗としてそれなりのキャリアがある石流は、武力にも長けている分、余程の事がなければ他人を頼らないし、それどころか頭を下げたりもしない。だが、その彼がつい最近、初めて自分を頼ってきたことがあった。
 つまりこれは、アルセーヌと戦った「あの時」のように切羽詰まった事態になりうる、もしくは既になっている事を意味しているのではないか。
「具体的にはどうすりゃいいんだ?」
 戸惑いを含む根津の声音に、石流はゆっくりと上半身を起こした。
「ラット、お前は研修旅行中はできるだけアンリエット様と一緒に行動しろ」
「それだけ?」
 不思議そうに首を傾ける根津に、石流は小さく頷き返した。
「アンリエット様は、旅行中はおそらくミルキィホームズと一緒に行動されるはずだ。生徒であるお前なら、違和感なくその中に溶け込めるからな」
 護衛には最適だと語る石流に、二十里はアイスブルーの瞳を向けた。
「ボクはどうすればいいんだい?」
「私が良いと言うまで脱ぐな」
「なんでさっ!?」
 想定外の言葉に、二十里は憤慨した。美しいボクを見せびらかせないのは罪だと抗議すると、根津は冷ややかな眼差しを返している。
「貴様は目立ちすぎる」
 石流は深く吐息を漏らし、言葉を続けた。
「ヨコハマだとそうでもないかもしれないが、貴様は西洋人の整った顔立ちだからな。外国人観光客が多いとはいえ、キョウトでは黙って立っているだけでもかなり目立つはずだ。それに……」
 石流は僅かに言い澱んだ。
「貴様にとっては不本意だろうが、相手の不意を突く為には必要なんだ」
 軽く目を伏せ、軽く眉を寄せている。やや後ろめたそうな表情を怪訝に感じながら、二十里は唇を尖らせた。
「ボクは、ビューティホーなボクをキョウトでも見せつけたいのに!」
 どうしてダメなのかと身を乗り出して抗議する二十里に、石流はアンリエットを護る為なのだと繰り返している。
「まぁ、君がそこまで頼んでくるのは初めてだから、やぶさかでもないけど……ねェ?」
 美しい自分の素肌を見せつけられないのは我慢がならなかったが、石流に自分の美しさを褒められ、悪い気はしなかった。何よりアンリエットの為なのだから仕方がない。
 押し問答の末、ようやく二十里が納得した素振りをみせると、石流は大きく息を吐いた。
「以上だ」
 その言葉で、根津は大きく伸びをして立ち上がった。やや大きめの半纏を揺らしながら玄関へ向かう根津に、石流は背後から声を掛ける。
「荷物は今から準備しておけ」
「うん、分かってるよ」
 保護者のような注意を続ける石流に、根津は片手をひらひらと振って返している。
「じゃ、おやすみ」
 根津は靴を履き終えると、肩越しに部屋の中へと振り返った。そして静かに扉を閉める。扉の前から根津の気配が遠のき、彼の部屋の扉が微かに開閉する音が耳に入ってくる。
 二十里が扉から石流へと顔を向き直すと、石流は眦をやや緩め、玄関の扉を見つめていた。そして、その視線が二十里へと向けられる。まだ帰らないのかと言いたげに眉が寄せられると、二十里は唇の端を小さく持ち上げた。


ほーむ
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