ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都
 




「百人一首に採用されている歌人の大半が怨霊と化した伝説を持っていたり、不遇をかこったり、早逝したり、不本意な亡くなり方をした人々ばかりだからだ」
 石流は一瞬だけ二十里へ恨みがましな視線を送ると、淡々と言葉を続けた。
「例えば、万葉集の編者の一人とされている大伴家持は、死後にその遺骨が流刑になった。歌聖と謳われている柿本人麿は刑死したと言われているし、小町や在原業平たち六歌仙は、藤原氏との政争に敗れて不遇な人生を送った人達だ。それに崇徳院や菅原道真は、日本の三大怨霊のうちの二人だな。そもそも一首目の天智天皇は暗殺された説があるし、最後を飾る順徳院は、その一首前の父・後鳥羽院と共に承久の乱を起こして敗れ、それぞれ佐渡と隠岐に流された」
 途切れなく続く説明に、ネロはうんざりしたような表情を浮かべた。一方で、シャーロックは不思議そうに小首を傾げている。
「死後に遺骨が流刑になったって、なんでですかぁ?」
「おい、それって今日の授業でやったばかりだろ……」
 根津は大きく眉を寄せ、片手で額を押さえた。言われてみれば聞いたような覚えがあるが、はっきりと思い出せない。エルキュールが俯くと、ネロとコーデリアは、シャーロック同様、小さく首を傾げた。
「そうだっけ?」
「言われてみれば、そんな気も……?」
「お前らさぁ……」
「ホント、ダメダメだブー」
 根津は呆れたような吐息を漏らし、ブー太は肩をすくめている。
 アンリエットは軽く溜め息を吐くと、平安京に遷都する直前の長岡宮の暗殺事件で、と背後からぼそぼそと補足した。それでようやく思い至り、エルキュールも皆と一緒に大きく頷く。
「あ、そうでしたー!」
 シャーロックは頭の背後に片手を回し、あっけらかんと笑った。そしてアンリエットに朗らかに礼を告げている。アンリエットは僅かに肩を落としているが、その唇の端は僅かに緩められていた。
「どうして美しいボクのトークを覚えてないかなァ……」
 一方、二十里は憂いげな表情を浮かべ、どこからか取り出した自分の抱き枕を強く抱きしめた。そして大きく溜め息を吐き出している。
「これもボクがビューティホーなのがイケナイ!」
 ボクに見取れているから疎かになっているのだと一人で盛り上がっている二十里に、石流はこめかみを軽く押さえた。
「とりあえず、そこは深く考えなくていい」
 二十里相手に、ただの戯れで口にしただけだと呟く。
「これで私の話は終わりだ。他にまだあるのか」
 そう宣言すると、石流はミルキィホームズを見渡した。コーデリアから順にシャーロック、エルキュール、ネロへと視線を移し、再びエルキュールへと目を戻してくる。
 エルキュールは無言で凝視してくる石流から視線をそらすと、肯定するように小さく頷き返した。
「でもこれだけ詳しいんならさ、キョウトの授業は石流さんがやったんでいいんじゃないの?」
 ネロは唇の両端を持ち上げ、根津へと振り返っている。根津はカップを両手に包みながら、ネロに同意した。
「二十里先生みたいに変な方向に脱線しなさそうだしなぁ」
「でもちょっと厳しそうだブゥ」
 ブー太がそうぼやくと、アンリエットは苦笑を浮かべている。
「ミルキィホームズにはちょうどいいかもしれませんわね」
 その言葉に、コーデリアは困惑した面もちを浮かべ、シャーロックは「怖いのはイヤですー」と大きく眉を寄せている。
 エルキュールが横目で石流を伺うと、石流は無言でアンリエットを見つめていた。眼差しは穏やかなものの、眉間には深い皺が寄せられている。
「石流さんは用務員とコックの業務で多忙ですからね」
 一緒になってはやし立てるネロと根津に、これ以上兼任させるわけにはいかないと、アンリエットは庇うような口振りで話した。
「でもまぁ、君がやりたいというなら、ボクはやぶさかでもないよぉ?」
 二十里は自分がプリントされた抱き枕を両腕で抱え、そこから顔半分だけを覗かせた。唇の端を大きく持ち上げ、マリンブルーの瞳を僅かに細めている。
「だってさ。どうする、石流さん?」
 含み笑いを浮かべる二十里とネロに、石流は眉間の皺をさらに深くした。
「教師は生徒を導くのが役目だろう。私には無理だ」
 そもそも教員免許を持っていない、と素っ気ない。
「それに今回話したことは、殆ど受け売りだからな」
「誰のですか?」
 淡々と吐き出された石流の言葉に、シャーロックが首を傾げた。
「……子供の頃、私の家庭教師をしてくれていた人だ」
「へぇ、そんな人いたんだ?」
 結構育ちがいいんだなぁと呟く根津に、石流は「そうでもない」と端的に返している。
 初めて耳にする話にエルキュールは顔を上げ、石流を盗み見た。石流は両腕を胸元で組み、根津と二言三言、会話を交わしている。
 ここ最近、エルキュールは彼の様子に違和感を受けることがあった。だが今はそういった雰囲気はなく、強く寄せられていた眉間はやや緩められ、根津へと向けられた顔はいつもの無表情に戻っている。その細い面もちをじっと見つめていると、やや伏せられた石流の瞳が、不意にエルキュールへと向けられた。
 まさか目が合うとは思わず、エルキュールはその琥珀の瞳をじっと見つめ返してしまう。
「どうした、エルキュール・バートン」
 石流の低い声に、エルキュールは金縛りが解けたように、慌てて顔を伏せた。
「何か他に訊きたい事でもあるのか」
「ええと、その……」
 皆の視線が集まっているのを感じ、エルキュールは頬が熱くなった。何か口にしなければと視線をさまよわせるが、巧く頭が回らない。 
 いっそのこと、最近様子がおかしい事や、何か考え事でもあるのかと訊いてみようかと思った。が、すぐに皆のいる前でする話ではないと判断し、口ごもる。
 それに訊いてみて、もし違っていたり否定されたりすると、とても恥ずかしかった。そして何より、気まずい。
 逡巡した結果、エルキュールは全く違う事を口にした。
「あの……石流さんて小野小町が好きなんですか?」
 小野小町といえば、百人一首に収録されている歌が一番有名だろう。しかし石流は、あまりメジャーではない古今和歌集の方を例に出した。そしてそれらをすらすらと暗唱しただけではなく、収録されている箇所すら指摘していた。余程の思い入れがなければそこまで暗記できないだろうと推測した結果だったが、エルキュールが目を向けると、石流は困惑したように眉を寄せ、視線を僅かに揺らした。
「どうだろうな」
 口元に右の拳をあて、琥珀の瞳を少し伏せている。
「あの人は、好きとか嫌いだとかいうよりも、別の意味で特別だ。だから正直にいうと、よく分からない」
 まるで身近な人について話すかのような口振りに、エルキュールは目をしばたたかせた。石流を伺うと、どこか遠くを見つめるような眼差しを床へと向けている。
 まただ、とエルキュールは思った。
 しかしそれも一瞬で、石流はすぐに顔を上げ、エルキュールへと視線を戻す。
「お前は、小野小町の歌は好きか」
 僅かに緩められた眼差しに、エルキュールは小さく頷いた。
「はい。あと在原業平の歌も……。それに百人一首では、崇徳院の歌や、左京大夫顕輔の歌も好きです」
 そう答えると、石流は唇の端を僅かに持ち上げた。
「今度の研修旅行では、百人一首をテーマにした施設にも立ち寄ることになっている。勉強しておくといい」
 石流にしては珍しく穏やかな微笑を返され、エルキュールはやや赤面して、こくりと頷いた。
 ネロは「えー、めんどくさーい」とぼやき、コーデリアは、横柄な態度を取るネロに眉をひそめている。シャーロックが素直に「分かりましたぁ」と返すと、アンリエットが静かに立ち上がった。
「では、今日はここまでということにしましょう」
 微笑を浮かべ、皆を見渡している。
 アンリエットの宣言に、ネロは椅子にもたれ、大きな伸びをした。根津は軽く首を回し、シャーロックは、膝の上で丸くなっているかまぼこを抱いて立ち上がった。コーデリアは空になったカップを手に取り、ブー太やシャーロックのものまで回収している。
 エルキュールは、すっかり冷えたカモミールティーに口をつけた。カップを大きく傾け、僅かに残った中身を一気に飲み干す。
 石流を目で追うと、彼はアンリエットの席へと足を向け、ティーカップを回収していた。そしてティーカップとソーサーを手にしたまま、教壇前に佇む二十里と根津に何やら耳打ちをしている。
 エルキュールが椅子からそっと立ち上がり、片手で文庫本を胸元に抱いた。そしてもう片手で空になったカップを運ぶと、盆の上を整理していたコーデリアが、エルキュールへと手を差し出した。彼女へとカップを渡すと、背後から仄かに花の香りが漂ってくる。振り返ると、ティーカップとソーサーを手に戻ってきた石流の胸元が視界に入った。
「あの、今日はどうも有り難うございました……」
 やや伏せ目がちにエルキュールが礼を言うと、石流は低い声を返した。
「大したことではない」
 そしてコーデリアに短く礼を告げ、空いたスペースにソーサーごとティーカップを置いている。
「あの、この本はいつまでにお返しすれば……」
「暫く貸しておいてやる」
 石流は、エルキュールに背を向けたまま言葉を返した。
「研修旅行に持っていっても構わん」
「で、でも……」
 石流は盆を両手に持ち、振り返った。
「旅行までに読みきれるのか」
 無理だと決めつけている眼差しと声音に、エルキュールは俯いた。頑張って徹夜すれば可能だろうが、それで授業中に居眠りしてしまったら本末転倒だし、貸してくれた石流に申し訳ない。
 お借りします、と頷くエルキュールに、石流は僅かに頬を緩めた。
「小町の歌は、古今にあるものだけが確実に本人の歌だと断定されている」
 有名な遍昭と小町の歌のやりとりは後世の創作だと、石流は説明した。
「あと衣通姫の歌が1110番にある。後で見ておくといい」
 そう告げ、はやく教室から出ろと促す。
 エルキュールが顔を上げると、教室は既にもぬけの殻で、中にはエルキュールと石流しか残っていなかった。教室前方の扉へと目を向けると、廊下でネロが手招きしている。その両脇には、コーデリアとシャーロックが、エルキュールへと笑みを向けていた。
 エルキュールは両手で文庫本を握りしめると、慌てて扉へと足を向けた。その背後から、石流の囁くような低い声が耳に届く。
「キョウトから帰ってこられたら、返してくれ」
「あ……はい」
 エルキュールは肩越しに振り返り、小さく頷いた。そしてすぐに顔を戻し、慌てた足取りで皆の元へと駆け寄っていく。廊下に出ると、皆とは少し離れた所にアンリエットが佇み、その隣に根津とブー太も待っていた。アンリエットはエルキュールの姿を確認すると、微笑を浮かべてきびすを返す。
「さぁ、戻りますわよ」
「アンリエットさん、待って下さーい」
 その隣に、かまぼこを抱いたシャーロックがとことこと歩み寄った。
「君たちィ、戸締まりをするから早く来たまえ!」
 二十里は廊下の先で、白のシャツを脱いでくるくると回っている。
 エルキュールは皆と一緒に廊下を進みながら、ふと眉を寄せた。何かが頭の片隅に妙に引っかかり、静かな水面に大きな波紋がゆっくりと広がっていくように、漫然とした不安が沸き上がってくる。
「エリー、どうかした?」
 隣にいるコーデリアが、眉を広げてエルキュールの顔を覗き込んだ。エルキュールは小さく首を横に振り、コーデリアと並んで足早に歩を進めていく。
 前を行くネロが、くるりと身体を反転させた。
「エリー、なんか難しい顔してるよ」
 後ろ向きに歩きながら、ネロは自分の眉間を指先で撫でた。
「そう……かな?」
 エルキュールが僅かに首を傾げると、ネロはその顔をじっと見つめ返した。そしてエルキュールの隣へと並び、片腕へと飛びついてくる。
「部屋に帰ったらさ、一緒にお風呂に入ろうよ」
 寒いもん、と抱きつくネロに対抗するように、コーデリアもエルキュールの反対側の腕に身体を寄せた。
「いいえ、エリーは私と入るのよ!」
「何言ってるんだよ、僕とだよ!」
 じゃれつくネロとコーデリアに身体を揺らされた反動で、エルキュールは肩越しに背後へと目を向けた。ちょうど盆を片手に持った石流が調理室前に立っていて、エルキュール達へと顔を向けている。だがいつものしかめ面ではなく、その目元は僅かに緩められ、唇の端を微かに持ち上げていた。滅多に見せない穏やかな微笑に、エルキュールは軽く息を呑む。しかしそれを目にしたのも一瞬で、エルキュールはネロに腕を大きく引っ張られ、その弾みで正面へと顔を戻した。
 左右から強く抱きつかれ、エルキュールは軽く眉を寄せる。だが先程まで感じていた不安は消え、胸の奥が軽くなったのを感じた。
 アンリエットの隣では、シャーロックがくるりと身体を反転させている。
「じゃぁ皆で一緒に入りましょう!」
 両手でかまぼこを頭上に掲げて笑みを浮かべるシャーロックに、エルキュールは小さく頷き返した。


ほーむ
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