ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都
 




「にゃーん」
 アンリエットが足を止めると、その足首に身体を摺り寄せてくる。アンリエットは身を屈めると、両手でかまぼこを抱き上げた。かまぼこはアンリエットの胸元に前足を乗せた姿勢で大人しく抱かれていたが、ふわふわとした頭を撫でると、再び「にゃーん」と鳴いた。
「流石に貴方を連れていくわけにはいきませんわね……」
「にゃー」
 アンリエットの言葉に、かまぼこはまるで「仕方ないね」と頷くように返してくる。
 アンリエットは思わず眉を緩めた。そしてかまぼこを抱いたまま、再び足を進めていく。
「貴方の飼い主はどこにいるんでしょうねぇ」
 かまぼこに語りかけるように呟き、道を進んでいくと、やがて前方から複数の少女が談笑する声が耳に入った。
「そうなんですかー?」
 この朗らかな声音はシャーロックで間違いない。
 自然とアンリエットの歩みが早くなり、木々が茂った道を抜けると、視界が開けた。蒼く揺れる水面と、その畔に腰を下ろしたミルキィホームズが目に入る。
 背を向けた彼女達の正面に、ホームズ探偵学院の制服とは違った、黒のセーラー服に身を包んだ女生徒がいた。長い黒髪をシャーロックのように後頭部で輪にし、頭上では球形の髪飾りを二つ、小さく揺らしている。
 アンリエットは、記憶を手繰った。確か彼女の名は、森・アーティ。少し前に転校してきた生徒だったはずだ。
 そして斡旋した転入先を思い出そうとして、アンリエットは強い違和感を抱いた。
 ミルキィホームズと根津以外の生徒には全員、学院を破壊する前に転校先を斡旋していた。それなのに、彼女の転入先についての記憶がない。それどころか、食堂や校舎内で彼女を見かけた覚えすらなかった。
 ここ数日、頭の片隅に引っかかっていた違和感がそれなのだと思い至り、アンリエットは目を見張った。そして、シャーロックに投げかけようとした言葉を呑み込む。
 森・アーティは、シャーロックの隣でにこやかな笑みを浮かべていた。そしてアンリエットの視線に気付き、杜若色の瞳をこちらへと向けた。唇の片端を大きく持ち上げ、大きな瞳を細めている。
 友好的な笑みのようでいて、目は笑っていない。
 アンリエットは、反射的に息を呑んだ。頭の片隅で、危険だと知らせるシグナルが点滅している。
 胸元のかまぼこが、小さな唸り声をあげて毛を逆立てた。
「あ、アンリエットさーん!」
 アンリエットに気付いたシャーロックが、手招くように大きく手を振った。その言葉にネロやエルキュール、コーデリアも振り返った。
「あ、会長!」
 コーデリアは嬉しそうな笑みを浮かべている。その隣でエルキュールは小さく会釈し、ネロはシャーロックと一緒になって両手を振った。
 アンリエットがゆっくりと歩み寄ると、胸元にいるかまぼこにネロは目を丸くした。
「あれ、なんでかまぼこと一緒なの?」
「先ほど、校舎近くで見つけたものですから」
 しかし、かまぼこは森・アーティに向かって唸り声を上げたままだ。
 ネロはアンリエットの胸元からかまぼこを強引に抱き上げると、その頭を撫で回した。
「どうしたんだよ、お前、なんか不機嫌だぞ?」
「ふみゃー……」
 ネロに撫で回され、かまぼこは迷惑そうに目を細めている。
「皆さんはここで何を?」
 森・アーティを横目で伺いながらアンリエットが尋ねると、シャーロックがにぱっと笑った。
「アーティちゃんから色々お話を聞いていたんです」
「先輩たち、キョウトに行くらしいですねー?きゃっ、羨ましいですぅ」
 森・アーティは胸元まで両手を持ち上げると、唇を突き出した。
「それでアーティが教えてくれたんだけど、キョウトにはすっごいお宝があるらしいんだよ!」
 ネロが目を輝かせ、アンリエットへと身を乗り出した。
「宝?」
「うん、捨陰天狗党がキョウトのどこかに隠しているらしくて、色んな怪盗が今まで狙ったけれど、誰も手に入れられなかったんだって!」
 アンリエットが尋ね返すと、ネロはうっとりとした表情を浮かべた。
「きっとすっごい財宝なんだよ!」
 売れば大金持ちになれるに違いないと話すネロに、コーデリアは軽く溜め息を吐いた。
「アーティさんの話だと、そういう金銭的なものじゃなくて、永遠があるって話じゃなかったかしら?」
「永遠?」
「ええ、それを手に入れれば、永遠を自分のものにできるっていう話を、さっき森さんが」
 思い出すようにゆっくりと言葉を続けるコーデリアに、アンリエットは森・アーティへと顔を向けた。アンリエットは牽制するように鋭い眼差しを投げかけたが、彼女は意に介する風もなく、ただにこにこと笑みを浮かべたままでいる。それがとてつもなく不気味に感じられて、アンリエットは唇を結んだ。
 その一方で、ネロとコーデリアが口論を続けている。
「永遠って言われてもさ、抽象的すぎて意味が分からないよ」
「そうかしら?でもなんかロマンチックじゃない?」
「コーデリアは相変わらず夢見がちだなぁ」
 ネロがそう笑うと、コーデリアはむっとしたようだった。
「なによ、ネロはすぐにお金お金って」
「だって、それがないとどうしようもないじゃんか。僕は現実的なだけだよ?」
「まぁまぁ、コーデリアさんもネロもその辺にして下さい」
 さらに口論を続けようとする二人を、シャーロックがなだめている。エルキュールは眉を八の字に寄せ、ネロのスカートの裾を引っ張った。その所作に、ネロはふてくされたように唇を尖らせ、そっぽを向く。拗ねたようにかまぼこを撫でるネロに、コーデリアは頬を軽く膨らませながらも、仕方ないと言いたげに眦を下げた。
 それまで成り行きを見つめていたアーティが、アンリエットへ笑みを向けた。
「会長さんは、キョウトの捨陰天狗党が隠す宝についてご存じでしたかぁ?」
「……噂だけですが」
 無邪気さを装って探りを入れるようなアーティの声音に、アンリエットは端的に返した。
「やっぱりぃ、会長さんも気になりますぅ?」
「いえ、特には」
「あ、でも会長さんはもうそれを手に入れてるかもしれませんねぇ」
 そう告げると、アーティは唇の両端を大きく持ち上げた。
「いますよね?会長さんの身近で、永遠をもたらすトイズの持ち主が」
「え?」
 とっさに誰の事を言われているのか分からず、アンリエットは眉をひそめた。身近と言われてすぐに思い浮かぶのはミルキィホームズとスリーカードの面々だが、彼女たちが該当するとは思えない。
 それに彼女はアンリエットの裏の顔を知っているはずがないのだから、身近な人間といえば学院の人間を指していることになる。
「どういう意味ですか……?」
 慎重に尋ね返しながら杜若色の瞳を見返すと、アーティは眉を寄せて、口元に笑みを浮かべた。
「いえいえ、気付いていないなら別にいいんですよぉ」
 そして小さく首を傾げ、大きな目を猫のように細めた。
「忘れて下さいねっ、きゃはっ」
 その笑い声と共に、頭上の髪飾りが大きく揺れた。と同時に、夕陽を反射したかのような煌めきが目に飛び込んでくる。
 アンリエットは、アーティの言葉に小さく頷いた。
 何かを問い詰めようとしていた気がするが、その輪郭を明確に思い描こうとすればする程、頭に霞がかかったようにぼやけ、霧散していく。
 きっと重要なことではないのだろうと思い直し、アンリエットは小さく息を吐き出した。
「……ところで森さん、貴方は今までどちらの学院に?」
 目元を緩めて尋ねるアンリエットに、アーティはぺろっと舌先を出している。
「イギリスのポワロ探偵学院ですぅ」
 その言葉を受けて、コーデリアが口を開いた。
「でも暫くは、私たちと一緒にここで頑張ってたのよね」
「ですですぅ」
 アーティは小さく頷き返している。
「でも探偵博の頃に、実家に呼び戻されちゃったんだっけ?」
「そうなんですよぉ。私も先輩達と一緒に頑張りたかったのに、転入先が手配されてるならそっちに行きなさいって、無理矢理連れ戻されちゃって。てへっ」
 小首を傾げるネロにアーティは首をすくめ、再び舌先をぺろりと出した。
 アンリエットは微笑を浮かべてその話を聞いていたが、内心軽い違和感を抱いた。何か大事な事を忘れているような気がするが、それを思い出せないもどかしさが喉元までこみ上げている。
 何故そのような焦りを抱くのか分からず、アンリエットは軽く眉を寄せた。
「じゃっ、そろそろ帰りますねーっ」
 アーティは腰を上げると、膝元とスカートの裾を軽く払った。
「え、アーティちゃんもう帰っちゃうんですか?」
「はい、これ以上遅くなるとお父さんに怒られちゃうんですぅ」
 眉を寄せるシャロに、アーティは両手を頬に当て、残念そうに顔を曇らせている。
「また石流さんのご飯が食べたいですねーっ」
 そう話すと、アーティは片手を小さく持ち上げ、ミルキィホームズに軽く手を振った。
「ではバハハーイです、きゃはっ」
 そしてきびすを返し、仮校舎へと続く道を駆けだした。しかしすぐに道を逸れ、茂みへと身を踊らせていく。
 がさがさと遠ざかる音を耳にしながら、アンリエットは眉間に皺を寄せた。「石流さんのご飯」という一言が、脳内に広がる霞を僅かに切り開き、違和感を拾い上げる。
「貴方達」
 アンリエットの低い声に、ミルキィホームズは怪訝そうに振り返った。
「はい?」
「アーティさんが食堂でどの席に座っていたか、覚えてますか?」
「え?」
「えーっと?」
 アンリエットの問いに、シャーロックとネロは大きく首を傾げた。
「あの……私達の席は、皆とは区切られていましたので……」
 か細いエルキュールの言葉に続けるように、コーデリアが頷く。
「死角になってて見えてなかったんじゃなかったかしら?」
 彼女たちの返答に、アンリエットは顔をしかめた。
 食堂ではミルキィホームズの席は隔離されていたから、いくら仲が良い後輩といえ、その席が目に入っていなければ覚えていなくても仕方ないだろう。だが、全ての席を見渡せられる場所に座っていた自分ですら、彼女の席がどこにあったのか思い出せない。
 彼女は本当に石流の食事を口にした事があるのだろうかという疑惑が、そっと頭をもたげてくる。
「でもアンリエットさん、それがどうかしたんですか?」
 シャーロックの言葉に、アンリエットは我に返った。彼女に目を向けると、小首を傾げて無邪気な笑みを浮かべている。
「そんなこと、別にどうでも良くない?」
 その傍らでは、ネロがのんきに笑っている。
「いえ……。何かとても重要な事だったような気がしたものですから」
 アンリエットがそう答えると、エルキュールは心配げな表情を浮かべた。
「考えすぎ……なんじゃ……」
「お疲れなんですよ、会長」
 コーデリアもエルキュールに同意し、眉を寄せている。
「そう……でしょうか……」
 自分を取り囲み、心配そうに見上げるミルキィホームズの顔を、アンリエットは見渡した。ネロに抱き抱えられたかまぼこも、いつの間にか唸るのを止めてアンリエットを見上げている。アンリエットと目が合うと、かまぼこは「みゃーん」と鳴いた。
「ネロ、かまぼこはなんて言ったんですか?」
「気をつけて、だって。何にかなぁ?」
「暗くなってきたから、池に落ちないようにって意味じゃないかしら?」
 コーデリアの言葉に、エルキュールも頷く。
 しかしアンリエットは、別のものを指しているのだろうと直感的に感じた。
 池へと目を移すと、赤く焦げた空に白い雲が浮かんでいる様が写っている。そして水面が夕陽を反射し、黄金色にきらきらと煌めいていた。
「そうですね……そうしますわ」
 アンリエットは、かまぼこの頭をそっと撫でた。かまぼこは、気持ちよさそうに目を閉じている。
 アンリエットがミルキィホームズを促そうとして、背後から土を踏みしめる足音が響いた。振り返ると、木々の向こうから制服姿の根津が姿を現した。
「アンリエット様……?」
「あら、根津さん」
 アンリエットが応えると、根津は緊張したように顔を強ばらせた。
「その、出掛けたままなかなか帰ってこないから、ちょっと心配になって」
 そう呟きながら頬をかく。しかしその背後にミルキィホームズがいるのに目を留めると、訝しげに眉を寄せた。
「お前ら、そんなとこで何してんだよ?」
「アーティちゃんが遊びに来てたんですよー」
 シャーロックがにぱっと笑みを浮かべると、根津は訝しげに眉をひそめた。
「アーティ?誰それ?」
「ボク達の後輩だよ。まぁ根津は知らなくても仕方ないけどさ」
 小馬鹿にするようなネロの口調に、根津はむっとした表情を浮かべている。
「大体根津がちゃんとしないから、ボクの会長が忙しくて大変なんじゃないか」
「ちょっ、なんで俺のせいになんるんだよっ」
 そして、そのまま二人のいつもの軽口が始まっていく。徐々にムキになっていく二人の表情に、アンリエットは思わず笑みをこぼした。
「あ、やっと会長笑ったねっ」
 アンリエットが小さく漏らした笑い声に、ネロは嬉しそうに口元を持ち上げた。根津は頬を僅かに赤面させているが、ネロと一緒に安堵したような表情を浮かべている。
 余程疲れた顔をしていたのか、怖い表情になっていたのだろう。  アンリエットは小さく息を吐き出すと、ミルキィホームズへと向き直った。
「皆さん、暗くなりますから早く戻りましょう」
 そして眉を緩め、微笑を湛える。
「さぁ、石流さんの美味しいご飯が待っていますよ」
「はいですー!」
 ミルキィホームズを促すと、シャーロックはアンリエットの右腕に自分の両腕を絡ませた。そして急かすようにその腕を引っぱっていく。
「急ぎましょう、アンリエットさん!」
 その二人の先を、ネロがスキップしながら進んだ。
「ボクのごっはん、ボクのごっはん!」
 そう歌うネロに呆れた眼差しを向け、根津がその横を歩いている。
「今日の晩ご飯は……何でしょうか……」
「この香りはきっとシチューよ!」
 エルキュールとコーデリアは、アンリエットとシャーロックの後を付いて歩きながら、楽しげに言葉を交わしている。
 一行は、夕闇が迫りつつある森の道を急いだ。



 →6へ続く


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 旦那にも推敲して貰ったら「京都の説明部分がたるいけど(必要そうだから)しゃーなしだなぁ」と言われました(´・ω・`)
 デスヨネー。
 ストリバさんに関しては、ゲームやアニメを観て「こうじゃないかなー?」と感じたり思った結果を出しています。京都出身にしたのは、元ネタの石川五右衛門が活動していた&処刑地が京都だから。あとストリバさんのチャイナ服っぽいあの道着は、動きやすいというのもあるけれど、出身地を誤魔化す為かなーという推測も入っています。いや、だってもし日本風の衣装だったら、自分は日本出身ですと主張して歩いているようなものじゃないですか。ストリバさんはそういう主張はしなさそうだから、中華出身ではないんじゃないかなーと思って。(間違えなく考え好きです)
 ちなみに捨陰天狗党の元ネタは、分かる人にはバレバレですが『飛べ!イサミ』の黒天狗党と『ブシドーブレード弐』の捨陰党です。最初は「(鬼面)八瀬衆」とか「鞍馬天狗党」とかの案もあったんですが、これだと(京都に詳しい人には)拠点がバレバレなネーミングだったので没に。あとカラス天狗6号や青天狗などの党員名は『イサミ』のオマージュです。というか組織そのものがry
 モブ生徒は、アニメ二幕の1話や7話で目立っていた子を持って来ました。それぞれ探偵を元ネタに名前を付けたので、文章では外見だけの説明のままですが、そのうち会話で出てくるかと思います。



ほーむ
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