ミルキィホームズの冒険 仮面だらけの古都
 

第一章


5

 ーー何をしているのかしら、あの二人。
 授業中だというのに、ネロと根津が二十里の目を盗んでメモのようなものを回している。
 アンリエットは眉をひそめた。
 しかし、二十里は平安京の成り立ちについての講義を続けながら、訝しげな視線を時折二人に向けている。その様子から察するに、二人の挙動にはもう気付いているのだろう。自分が口を挟むまでもないようだと、アンリエットは手元の書類に目を戻した。
 書類の白い表紙には、筆で書いたような「研修旅行日程表」という文字が縦に並び、その横には「決定稿」というハンコが押されている。次のページからは、研修旅行の日程や宿について、五ページに渡って事細かに記されていた。キョウト市役所が手配した旅行会社からのFAXで、行動計画は最初に提示されたものと大分変わっている。
 アンリエットは、研修旅行での訪問先を石流に一任していたが、彼は翌朝には修正案を提出してきた。一日目のスケジュールはそのままだったが、二日目以降は大きく変更が加えられている。アンリエットはそれを確認してから、石流にFAXを送信させた。すると先方は、それを元にした修正案をすぐに送り返してきた。そうして詳細を詰めるために文面でのやりとりが数回続き、その度に石流に確認させるような形をとったが、先程最終案が送信されてきた。見たところ問題はなさそうだったから、当日はこのスケジュールで動くことになるだろう。
 一日目は洛東、二日目以降は洛西が中心の為か、旅行会社とキョウト市役所が手配した宿は、嵐山の温泉旅館だった。アンリエットがネットで検索して調べてみると、渡月橋を渡ったすぐ先にあるらしい。嵐山は観光地ではあるが、市街地から離れている分、夜は静かで落ち着けるという評判だった。
 急ぎの案件が一つ片付いて、アンリエットは小さな吐息を漏らした。
 アンリエットの木製のデスクの上には、折り畳まれたノートPCと旅行会社から送信されてきたFAX、そして石流がミントティーを注いだティーカップが置かれている。
 アンリエットはティーカップに手を伸ばし、湯気の立つ薄い琥珀色の液体を口にした。ミント独特の清涼感が口の中を満たし、鼻孔から抜けていく。
 アンリエットは一息吐いてティーカップを戻すと、再びFAX用紙を手にした。表紙を含めて全部で六枚あるそれを隅々まで確認し、最後のページをめくったところで手を止めた。
 左上の隅に、目立たないよう小さく81/100、38/100、20/100と数字が記されている。しかも81/100だけ丸で囲まれていた。PCで作成されたと覚しき文面の中で唯一、手書きされている。
 そしてその数字の横には、何か書き込んだものの消したような後があった。掠れていてよく読みとれないが、ひらがなの「つ」と、縦の棒を書く途中で止めた「g」に見える。
 アンリエットは柳眉を寄せた。
 数字をメモしたままうっかり送信してしまったかのようだったが、日程表に添えられた丁重な文面からは担当者の品の良さを感じ、初歩的すぎるミスを犯しているようには思えなかった。数字には何か意味がありそうだったが、かといって関連性を見いだせない。
 もしやと思い、アンリエットは机の引き出しから、これまで旅行会社とのやりとりを保管したファイルを取り出した。そして先方からのFAXを、日付順に机上に並べてみる。
 すると最初のFAXには何も記されていなかったが、こちらが返信してからの二回目の最後のページに、やはり左上の片隅に小さく「335/1111」と手書きされていた。その次のFAXにも最終ページの同じ場所に「30/100」とある。どうやら送信時に書き加えられたものらしい。
 335/1111、30/100、81/100、38/100、20/100。
 今まで気にも止めず、書かれている事に気付きもしなかったが、3と8ばかりが並んでいるこれらの数字に共通性は見いだせなかった。あえて言うなら分母の「100」だろうが、何故最初だけ「1111」なのか、それすらも見当がつかない。
 誰に向けたメッセージだろうと思案し、すぐに思い至って、アンリエットは眉間に皺を寄せた。書類の最終確認は自分が行っていたが、書類の作成、先方への送信は石流に一任している。ということは、これは相手が石流に向けたメッセージと見なすべきだろう。
 もしやと思い、アンリエットはこちらから先方に送ったFAXをファイリングしているページを開いた。そしてそれらを取り出し、机上に広げた。
 案の定、こちらから送信したFAXにも、左上の片隅に手書きで数字が記されていた。こちらが二回目に送信したもの、つまり「335/1111」と記されたFAXの返しには「35/100」、次の返信には「84/100」とある。この丁寧で直線的な筆跡は、石流のもので間違いない。
 だがこれらの数字は、アンリエットは目にした覚えがなかった。となると、おそらく石流が送信する直前に書き加えたものなのだろう。
 アンリエットは首を捻った。
 一体どんな意味があるのか。知りうる限りの数字の暗号解読を脳内で試してみたが、どれもしっくりとこない。
 しかし何よりも、石流が自分に隠してこのようなやりとりを先方としているという衝撃の方が大きかった。
 石流は、アンリエットの心情を察するのは早いものの、こちらの本意とは若干ずれた解釈をするなど、少しばかり抜けたところはある。だが部下として、そして怪盗として信頼できる男だった。愚直なまでに忠実だが決して盲目的でなく、アンリエットが自暴自棄になっていた「あの時」も、彼女の真意を知った途端、三人の中で真っ先に反旗を翻してきた。それは決して疎ましいものではなく、むしろ頼もしいと彼女は感じている。
 アンリエットは小さく息を吐き出すと、再びティーカップに手を伸ばした。カップの端に口を付け、唇を湿らせる。
 旅行会社の担当者名には、全て「筑紫澪」とあった。名前からして女性なのは間違いないだろう。しかし学院からのFAXには、アンリエットの名前しか記載していなかった。だから彼女は、石流がこの学院に所属している事を知っていて、なおかつ何らかの手段か情報で、彼がこの書類に関わっていると気付いたのだろう。おそらく最初の「335/1111」で試し、それに気付いた彼が返した数字で、それを確信したに違いない。
 どこで気付いたのか。そしてこの数字は何か。
 アンリエットは静かにティーカップを戻すと、再びFAXへと目を向けた。
 石流の方は、彼女が知人であれば、FAXに記された名前ですぐに気付いたはずだった。ならば個人的に連絡を取ればいいのに、わざわざ公用の文書の片隅で返しているということは、何らかの事情があって、二人とも表だって連絡できない状況なのではないかと推測された。
 例えば相手も偽名であるとか、こちらと同様、表記されている人物とは別の者が実務を行っている場合が考えられる。
 アンリエットが眉間に皺を寄せて思案していると、不意に二十里の講義が耳に飛び込んできた。
「そういや石流君が、古今和歌集は輪のように繋がるとか、百人一首は呪いの歌集だって事も言ってたね」
 思わず顔を上げると、二十里は意味心な笑みを浮かべてエルキュールを見下ろしている。
 その言葉で閃くものがあり、アンリエットはFAX用紙に記された数字をメモ用紙に写すと、FAXを元のファイルに戻し、引き出しに仕舞った。そしてノートPCを開き、マウスを動かしてスリープ状態を解除する。そして検索画面で「百人一首 35」と打ち込むと、すぐに該当するページが表示された。リンク下に表示される文面から百人一首の和歌が詳しく記されていそうなページを選び、それをクリックした。
 数秒も立たないうちに画面が切り替わり、「人はいさ心も知らず古里は 花ぞ昔の香ににほいける」という和歌が表示された。百人一首の35番目に収録されている和歌で、紀貫之の作だという。和歌の下には歌の解説や現代訳語が記されていて、アンリエットはそれらを目で追った。
 この歌は「人はさあどうでしょうか、貴方の心の内はわかりません。しかし、昔馴染みのこの土地では、花だけは昔のままの香で匂っていることです」という意味になるらしい。サイトに記された解説によると、紀貫之が暫くぶりに訪れた奈良の長谷寺で、参詣する際に常宿としていた宿の主に「いつも待っていたのに」と皮肉を言われた為、梅の花を手折って一緒に贈った歌だという。元々は古今和歌集に収められている歌が、百人一首にも採用されたと記されていた。いかにも風流なやりとりだが、相手の心変わりを疑ったやりとりからこの宿主が女性ではないかという見方もあり、恋歌とする解釈もあるらしい。
 しかしアンリエットは、紀貫之が「古今和歌集」の編者の一人であることに注目した。
 もしやと思い「古今和歌集」で検索すると、その書物に掲載されている和歌は、全部で1111首なのだという。
 そこで335番目に掲載されている歌を調べてみると、小野篁の「花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだににほへ人の知るべく」という歌が出てきた。「花の色は雪に紛れて見えなくても、せめて香だけでも匂ってくれ。どこに梅の花があるか人にわかるように」という意味になるらしい。
 どちらの和歌も、梅を歌った和歌だった。そしてサイトの解説によると、二人とも和歌だけでなく漢詩にも長けているという共通点があるらしい。しかも小野篁は、研修旅行の1日目で回る場所に関わる人物でもあった。
 つまり石流は、和歌の意味だけでなくこれら全ての要素を踏まえた上で百人一首の紀貫之の歌を選び、それを示す数字で返したのではないだろうか。だからこそ、相手は彼だと確信したのではと思われた。
 知識がなければ出来ない芸当だろう。しかし。
「随分とキザですわね……」
 アンリエットは思わず苦笑をこぼした。和歌を介したやりとりは彼の風貌に似合っているが、何もかもが遠回しすぎるように感じる。
 おそらく引用された和歌は、「貴方がそこにいるかどうか隠れていて見えないが、いるのなら応えてほしい」といった解釈になるのだろう。それに対して石流は「人の心はさておき、そちらの景色は変わっていないのでしょうね」と返したといったところだろうか。
 これならば、おそらく他の数字も全て百人一首を示しているに違いない。そう考えたアンリエットは、ノートPCに向き合うと、再び両手を動かした。
 最初に開いたサイトには百人一首が収録順に並んでおり、和歌の部分をクリックすると、詳細な解説ページに飛ぶようになっている。
 まずは二人のやりとりの流れを把握しようと、アンリエットは梅の歌の次に書かれた「30/100」が示す、30番目の和歌をクリックした。
 すると、壬生忠岑の作品で「有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし」という和歌が出てきた。
 彼も古今和歌集の選者の一人だという。「有明の月が無情に照っていたあの別れ以来、暁(明け方)の月ほどつらい思いをさせるものはありません」という意味になるらしい。
 解説によると、当時の恋愛は、男性が女性の元に通い、夜明け前に帰る形式だったという。だからこそ暁の別れはつらいものだったらしく、またその一方で、男性が訪ねていっても女性に相手にされないケースもあったという。故にこの歌は、つれないのが「月」か「女」で解釈が分かれるらしく、「月」ならば恋人と一夜を過ごした後の名残惜しさ、「女」ならば、会ってもらえなかった悲しさとなるとあった。
 一方で、石流はこの歌に「84/100」と返している。84番目の歌は藤原清輔の歌で「長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき」とあった。「長く生きていれば、今はつらいと感じている現在もまた、後で懐かしく思い出されるのでしょうか。つらく苦しいと思っていた昔の日々も、今になってみると恋しく思われるのですから」という意味になるという。
 二つの和歌の解説を見比べて、アンリエットは再び眉を寄せた。
 相手の和歌はどう解釈すればいいのか分からないが、引用している相手が女性という点から「あの時の別れを思い出して辛い」という意味だと思われた。そして石流の方は、「そんな事もありましたが今となっては懐かしいですね」と返しているのだろう。
 アンリエットは、最初は二人で昔を懐かしんでいるのではないかと思ったが、それだけではないような気がした。二人の間に、微妙な温度差があるような気がする。その背後にあるものを汲み取ろうとして瞼を閉じーー突如教室から根津とネロの叫び声が響いて、アンリエットは思わず顔を上げた。
 声のした方に目を向けると、根津とネロが手を取り合って震えている。彼らの視線の先には、上半身裸になった二十里がいて、乳首を長く伸ばしながら徐々に距離を縮めつつあった。
「こっちくんなぁぁぁ!」
 ムチのように伸びた乳首を見て、ネロが悲鳴を上げた。
 が、二十里はネロにゲンコツを一つ落とすと、そのまま根津へ腕を伸ばした。後ろ向きに脇へと抱え、尻を叩いている。どうやら伸ばした乳首はフェイントだったらしい。
 おそらく、授業中にメモをやりとりしていた事へのお仕置きなのだろう。
 アンリエットは小さく溜め息を吐くと、最後のFAXにあった三つの数字に目を移した。
 まず「81/100」だが、サイトをみると、81番目の歌は「ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる」という藤原実定の歌だった。「ほととぎすが鳴いたのでその声の方を眺めたが、もはやその姿は見えず、ただ明け方の月だけが西の空に残っていることよ」という意味になるらしい。
 解説によると、ほととぎすは、夏を告げる鳥として歌によく詠まれたという。平安期においては、第一声の初音を聞くために夜明けまで待つほど好まれた鳥で、姿は見えずその美しい鳴き声の存在として詠まれる傾向にあったらしい。また有明の月もよく詠まれる題材で、恋人との別れの象徴でもあり、この和歌は、ほととぎすに託した恋人との別れという解釈も成り立つということだった。
 次に「38/100」だが、これは醍醐天皇の中宮・隠子に仕えていた右近という女性の歌で、「忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな」とあった。「忘れられていくこの身をつらいとは思いませんが、いつまでも愛してくださると神に誓った貴方が、それを破ったことで天罰を受けて命をなくすのではないかと心配です」という意味になるそうなのだが、相手を思いやる歌か恨みの歌かで解釈が分かれるという。前者であれば、捨てられても恨まないという女心になるが、後者なら「天罰がくだって死んでしまうかもしれませんよ」という真逆の意味になるらしい。
「……これはどちらの意味なのかしら?」
 アンリエットは思わず声を漏らした。これまでの言葉遊びのようなやりとりとは違い、ただならぬ雰囲気を感じる。
 そして最後の数字「20/100」は、「わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ」という元良親王の歌だった。「あなたとの噂が立ってしまい、会うこともままならない今は、どうなっても同じです。難波の海にある澪標のように、この身を尽くし破滅させてでも貴方に逢おうと思います」という意味になるらしい。解説によると「澪標」というのは、航海する船に水脈を知らせる標識として海に立てられるもので、身を滅ぼすという意味の「身を尽くし」の掛詞だという。だからこの身は破滅してでもまた会いたいと、半ば開き直っている状況なのだという。
 アンリエットは三つの和歌をPCのモニターに表示させて、小首を傾げた。
 恋人との別れを象徴した歌と、捨てられた女の歌と、何が何でも会いたいという熱情が籠もった歌。
 ばらばらのようでいて、共通したメッセージを持っているようでもある。それに二つ目の和歌には「心配している」と「恨んでいる」の二通りの解釈がある。だからこれら三つの和歌を合わせると、「別れた恋人が恨みつつもまた会いたがっている」という解釈にも取れるだろう。しかしその一方で、捨てられた女から石流への宣戦布告のようにも感じられた。
「石流さん、昔キョウトで何かしたのかしら……?」
 アンリエットは頬に片手をあて、モニターを見つめた。
 大抵のことには二つ返事で承諾する彼にしては珍しく、キョウトへの同行を躊躇っていた。そして、捨陰天狗党を非常に警戒していた。以上の事から、アンリエットも彼がかつて捨陰党員だったのだろうと見当を付けている。
 しかし、それだけではない予感がした。
 かといって、まさか恋愛関係を拗らせた結果、キョウトに居られなくなったというわけでもないだろう。
 ホームズ探偵学院での彼は、職員としても異性としても女生徒からの人気が高いようだった。ラブレターを送ったものの丁重に断られたという女生徒の噂話は耳にしたことがあるし、現に彼の手料理や彼自身を目当てに、現状の学院に舞い戻ってきた節のある生徒もいる。だが、女性関係で浮ついた噂は、学院でも怪盗方面でも耳にしたことがなかった。生真面目な彼のことだから、おそらく身持ちは堅いのだろう。
 アンリエットは、胸の下で両腕を組んだ。
 以前読んだ書物によれば、かつて忍の一族は、抜けた者には厳しく追っ手を差し向けたという。
 ならば彼は、今も追われているのだろうか。もしくは、二度とキョウトに足を踏み入れないという条件でも出されているのだろうか。
「どちらにしろ情報が少なすぎますわね」
 彼にこの三つの数字を見せるべきか否かと暫し逡巡し、アンリエットは再びティーカップに手を伸ばした。ゆっくりと薄い琥珀色の液体を飲み干し、ティーカップを戻す。そして決定案として送られてきたFAXの束を手にし、ノートパソコンを閉じた。


ほーむ
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