視線の先には、正方形の電灯と木目の天井がぼんやりと浮かんでいた。 白い靄に包まれているように朧気だが、畳の上に敷かれた布団に横になっているのが分かる。 首を巡らせると、天井にまで届く大きな本棚が目に入った。その横には椅子が僅かに引かれた勉強机がある。その上にある窓には白いレースのカーテンが引かれていたが、僅かにガラス戸が開いていて、カーテンがひらひらと小さく揺れていた。 額にから湿ったタオルが滑り落ち、眼前を覆い隠す。彼は横になったまま腕を上げた。指先でタオルを拾い、再び真上を向いた自分の額の上に載せる。 夢を見ているのだと、彼は思った。 これは実家にある彼の自室で、今住んでいる場所ではない。昔あった出来事を、脳内で反芻しているのだろう。 しかし、頭の中には鈍い痛みが幕のように広がっていた。額が割れるようで、むしろ割った方が楽になるのではないかと思えてくる。 襖の向こうには廊下があって、その先には下へと降りる階段があった。耳を澄ますと、ぱたぱたと誰か大勢が歩くような音が耳に入ってくる。 あの襖の向こう、階段の下には大勢の人がいるのに、部屋の中には自分一人だけが取り残されている。 頭痛の苦しさだけでなく、ただ無性に寂しいという感情が重なり合って、気付いた時には、目からはらはらと涙がこぼれていた。 両の目尻から枕元へと静かに流れ落ちていく。 声は出そうと思えば出せたが、出してはいけないと、彼は唇を噛みしめた。 迷惑が掛かるから。困らせたくないから。みっともないと思われたくないから。 理由はいくらでも思い浮かんだが、それでも胸の内に沸いた感情を押し留めることができない。 涙が流れ落ちるままに任せて瞳を閉じると、木製の階段をリズミカルに昇ってくる音が微かに耳に入った。誰かが来る気配に、彼は掛け布団の裾で慌てて目元を拭った。 足音は部屋の前でぴたりと止まると、すっと襖が開かれた。瞼を開けてそちらへと目を向けると、桶を手にした細い人影があった。逆光になって顔は見えなかったが、その人影が誰なのか、彼には一目で分かった。 人影は音もなく彼の枕元へ近寄ると、手にした桶を置いて、両膝を揃えて腰を下ろした。 「辛いなら、呼んでくれて良かったのに」 柔らかな声が、呆れたように吐息を漏らしている。 唇の両端が小さく持ち上げられるのに目を留めて、彼は無言で目を伏せた。 柔らかな手が彼の額に伸ばされ、その上にあるタオルをそっと拾い上げると、彼の目元を撫でるように拭った。そしてそれが離れると、桶の中からぱしゃぱしゃと水が跳ねる音が微かに耳に届く。 彼は荒い呼吸の下で、小声で反論した。 ーーだって、俺はーーだから……。 すると人影はさらに呆れたようで、小さく笑うと、彼の頬を指先で軽く小突いた。 「そういう所はどっちに似たのかしらねぇ……」 そして濡らしたタオルを、彼の額にそっと乗せた。水で十分に冷えたタオルが心地よく、彼はほうっと吐息を漏らす。 「こういう時くらい甘えなさい」 ね?と小首を傾げる仕草に、彼は素直に頷いた。 安心したせいか視界がぼやけ、再び目元から涙がこぼれ落ちる。人影は苦笑を漏らすと、額のタオルで目尻の涙を拭って、額を包み込むように掌を宛てた。 「良かった……朝より大分下がってきてる」 熱に浮かされた額には、ひんやりとした柔らかな感触が心地良い。しかしその手が額から離れる気配に、彼は思わず自分の右手を持ち上げ、自分の額に押しつけるように、その掌の上に自分の手を重ねた。 ーー待って。 掠れた声に、人影は驚いたようにびくりと肩を震わせた。 ーーもう少しだけ。 縋るように見上げ、掌に力を込める。 ーーもう少しだけでいいから、側に居て下さい。 素直な感情を言葉に乗せると、人影は小さく頷いた。 額に触れる小さな掌は、彼の額と掌に挟まれたままじっとしている。離れていく気配がない事に安堵した彼は、自分の手を重ねたままの姿勢で、僅かに首を動かした。 逆光になってよく見えないが、人影はじっとこちらを見下ろしている。 彼は穏やかな笑みを返した。 そして睡魔に誘われるまま、ゆっくりと瞼を閉じた。 **************** |