自分が挙げた声で、根津は両目を見開いた。
 眼前にあるのは見慣れた寮の天井で、あの夢の場所ではない。
「うわ、久々にすげーイヤな夢、見た……」
 根津は大きく息を吐き出すと、仰向けになったまま枕元へ手を伸ばした。目覚まし時計を掴んで眼前に翳すと、タイマーをセットした時間より少し早い。
 二度寝しようかと一瞬だけ迷ったが、瞼を閉じるとあの夢の続きが始まりそうで、根津はゆっくりと上半身を起こした。
「なんで、今更……」
 完全に目が冴えてしまい、勉強机へと顔を向ける。卓上カレンダーで今日の日付を確認しすると、根津は肩を落とした。
 あれは、かつて繰り返された日常だった。
 そして自分が捨てた家でもある。
 根津は大きく舌打ちすると、布団を蹴飛ばした。





 根津が教室に入ると、既に大勢の生徒が自分の席に着いていた。その中にはミルキィホームズ達の姿もあり、自分の背後にある席に並んで腰を下ろしている。
「あれ、お前等が俺より早いなんて珍しいじゃん」
 根津は目を丸くしながら、自分の席へ歩み寄った。
「今日は台風でも来るんじゃねーの?」
 軽口を叩きながら彼女たちへ目を向けると、ネロがむっとしたように唇を尖らせている。
「そんな意地悪を言う奴にはやらねーぞっ」
「は、何をだよ?」
 根津は自分の席に鞄を載せ、ミルキィホームズへ体を向けると、エリーが隣のネロの袖を引っ張った。
「ほら、ネロ……」
「そうよ、早く出しなさいよ」
 コーデリアも小声で促している。
「はやくはやくー」
「分かってるよッ」
 シャロに催促され、ネロは机の中から小さな紙袋を取り出した。淡い水玉模様のそれは掌に収まる程の小さなもので、ネロはそれを指先で掴むと、そのまま根津へと突き出した。
「やりたくないけど、ほれ、やる」
 僅かに視線をそらせたその頬は、少しだけ赤い。
「お、おう」
 いつもとは異なる表情を見せるネロに少しばかり動揺しながら、根津は素直に片手を出した。
 ネロはその掌に紙袋をそっと置くと、さっと手を引っ込め、自分の背後へと回す。根津が指先で紙袋を掴むと、茶葉を掴んだような感触と共に、がさがさと乾いた音がした。重みはなく、かなり軽い。
「何、これ?」
 そう尋ねると、シャロが両腕を頭上へ広げた。
「根津君、誕生日おめでとですー!」
 突如繰り出されたシャロの大きな声に、根津は目をしばたたかせた。
 周囲のクラスメイト達も、何事かと視線を送ってくる。
「な、なんで、俺に?」
 予想外の出来事に、根津は狼狽えた。
「友達の誕生日はお祝いするものじゃないですかー」
 根津の言葉に、シャロは屈託のない笑みを浮かべている。
「それに、キノコを焼く時に火をつけてくれるし?」
 そう頷いたのはコーデリアだ。
「七味……貸してくれましたから……」
 胸元で両手を合わせて、エリーは恥ずかしそうに目を伏せた。
「それにお前、他に友達いなさそうだし」
 あっけらかんと答えたのはネロだ。
「大きなお世話だっつーの!」
 根津は赤面しながら、ネロを睨み付けた。ネロも根津を睨み返し、あかんべーと舌を出している。
 ぐぬぬと唇を噛んで、根津はシャロ達の方へ顔を向けた。
「これ、今開けてもいいのか?」
「どうぞどうぞ」
 うきうきとしたシャロの言葉に、根津は紙袋の封を開いた。中身を取り出すと、透明な袋に小振りな黄色と白の花が詰まっている。
「何これ?」
「カモミールのポプリです……」
 根津の問いに、エリーがもじもじと答えた。
「お前、先月は休み時間も席で寝てばっかだっただろ」
 エリーの言葉に続けるように、ネロが口を開いた。
「それで夜ちゃんと寝られてないんじゃないかってネロが心ぱ……」
「ちょっとコーデリア!」
 ネロはコーデリアのわき腹を肘で小突き、その言葉を慌てて遮った。
「それで、ポプリを枕元に置いておけばよく眠れるってエリーが言うからさぁ」
 そわそわと視線をさまよわせながら、ネロが呟いた。
「石流さんがハーブティー用に育てているのを分けて貰ったんですよー」
 シャロがにこにこと説明を続けている。その言葉を受けて、エリーも口を開いた。
「皆で……作りました……」
「フーン」
 彼女らの説明に耳を傾け、根津が透明な袋を鼻元へと寄せると、ほんのりと甘い香りが漏れてくる。
「ま、サンキューな」
 根津は、彼女達から視線をそらせつつも素直に礼を口にすると、ネロは頬を朱に染まらせながら唇を尖らせ、そっぽを向いた。
「もっと有り難そうに言えよッ」
「はいはい、ありーがーとーうー?」
 意趣返しと言わんばかりに、根津はいつぞやのネロの口調を真似する。
「むきー、やっぱ根津なんかに誕生日プレゼント渡すんじゃなかった!」
 ネロは頬を膨らませて根津を睨み上げると、根津を指さした。
「でも僕の誕生日は三倍返しな!」
「どこのバレンタインだよ、そりゃ」
「僕の国ではそういうコトになってるんですぅ」
「さらっと嘘つくなよッ」
 ぎゃーぎゃーと口論を始める二人に、エリーはおろおろと狼狽えた。コーデリアはネロをなだめようとし、シャロは二人の間へと割って入っていく。
 だが、二人の口喧嘩は二十里が教室に入ってくるまで続いた。


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