放課後、根津が空になったゴミ箱片手に独りで廊下を歩いていると、背後から二十里海がするりと寄ってきた。
「君さぁ、最近休み時間によく居眠りしてないかい?」
 二十里は先程の美術授業では黒パンツ一枚という霰もない姿だったが、今は素肌に鮮やかな黄緑色のジャケットを羽織り、直接ネクタイを結ぶといういつもの格好に戻っている。
「授業はちゃんと真面目に受けてるじゃん」
 根津は、横に並んで僅かに眉を寄せる二十里に唇を尖らせた。
「あっちの活動が夜遅すぎて、君の負担になってるんじゃないかって心配してるのさ」
「んなわけねーだろ。子供扱いするなってーの!」
 大袈裟に肩をすくめてみせる二十里に、根津は声を荒らげた。
「ちょっと手持ちの一部を改良しててさ」
 周囲に他人の姿がないことを確認しつつ、声を潜める。
「前に使った弾幕用の奴、もうちょっと小型にしてみようと思って」
 そう囁く根津に、二十里は軽く眉を広げた。
「そういう努力は美しいけど、君の表向きの本分は学業なんだから気をつけたまへっ」
「へーい」
 早口で教師らしい言葉を紡ぐ二十里に根津が軽口で返すと、二十里は小さく肩をすくめた。
「あぁ、あと石流君が困ってたよぉ?」
「なんで?」
 唐突な二十里の言葉に、根津は小さく首を傾げた。
「君は食事に興味がないのかい?」
 顔を覗き込むように首を傾げる二十里に、根津は数日前の食堂での会話を思い出し、顔をしかめた。
「アイツの作る飯は何でも旨いし、別に……」
「ふむ。じゃぁ、また食べてみたい料理とか無いのかい?」
「そんな、急に言われても……」
 根津は教室へと向かいながら、視線を足下へと落とした。
 食堂では生徒達とではなく二十里と一緒のテーブルに割り振られているが、待遇は決して悪くない。上の上がアンリエットとかつてのミルキィホームズ達だとしたら、根津は上の中といったところだろう。
 今は芋一個という待遇に堕ちたミルキィホームズをからかいつつ食事をするのは、彼にしてみれば楽しい部類だった。少なくとも独りで食べていた頃よりは遥かに良いと思っている自分に気付き、根津はさらに眉をしかめた。
「大体、何でそんな事訊くんだよ?」
「単なる好奇心ってところかな」
 軽く息を吐き出して根津が二十里へ尋ねると、彼はさらりと返した。
「ちなみにボクの最近のお気に入りは、ビーフストロガノフさっ。勿論トマトの入っていないホワイトソース!」
「へいへい」
「ヨコハマにも美味しいお店があるから、今度連れていってあげよう」
「もちろん奢りだよな?」
 軽口とともに根津は隣の二十里へと顔を上げると、彼はウィンクを返した。
「そりゃまぁ、子供が独りで行くようなお店じゃないからね」
「だから子供扱いするなって言ってるだろ!」
 そう舌打ちして、根津は不意に足を止めた。
 二十里の「子供が独りで行くようなお店じゃない」という言葉で、脳裏に蘇った光景がある。
「どうしたんだい?」
「あった」
「何が?」
「……ラーメン」
「ん?」
 二十里も足を止め、目を瞬かせて根津を見下ろしている。
「ほら、由比の紫陽花冠だっけ?それを盗んだ後、皆で屋台のラーメン食べに行っただろ」
「あったねぇ、そんな事」
 根津の言葉に、二十里は懐かしそうに目を細めた。
 怪盗帝国を結成したばかりで、まだ学院に潜入していなかった頃のことだ。
 美術館へ侵入する準備の為に夕食を食べ損ねていたラットは、盗みを終わらせた後盛大に腹の虫を鳴かせた。ストーンリバーとトゥエンティは呆れていたが、アルセーヌは小さく笑って、帰り道にたまたま見つけたラーメン屋の屋台へ寄る事を提案してくれたのだ。
 トゥエンティは美容に悪いからとおでんの大根しか注文しなかったが、半分に切り分けてラットへと譲ってくれた。ストーンリバーも自分が注文したおでんを取り皿に分けてくれたし、アルセーヌは「育ち盛りなんですからもっとお食べなさい」と、自分の分のチャーシューをラットの醤油ラーメンへと載せてくれた。
「あれはちょっと楽しかったかな?俺、屋台って初めてだったし」
 怪盗になって真夜中独りで出歩いていても、屋台の赤提灯は近寄り難いものだった。だから、ファミレスではなく屋台に誘われた事は、アルセーヌ達に大人だと認められたような気がして少し嬉しかった覚えがある。
「またアンリエット様と行きたいな」
 皆と、というのはなんだか気恥ずかしくて、根津は「アンリエット様と」という部分を強調した。
 手にしたゴミ箱を弄びながら笑みをこぼす根津に、二十里は唇の両端を小さく持ち上げている。
「屋台と言えば、もうすぐ学院の近くの神社で祭りがあるね」
 再び足を進める根津の横に並んで歩きながら、二十里は彼を横目で伺った。
「折角だし、君もクラスの子達と一緒にお祭りとか行ってみたらどうだい?」
「はぁ?なんで俺が探偵見習いの連中と慣れ合わなきゃなんねーんだよ」
 二十里の提案に唇を尖らせると、根津は軽く眉を寄せた。
「譲崎なんかと行ったら、絶対屋台の喰いモン強請ってくるじゃんか。シャーロックはちょろちょろ動いてすぐはぐれそうだし、エルキュールは口よりも目で訴えてくるタイプだからやりづらいし、コーデリアは年上ぶって「あれもダメ、これもダメ」ってストーンリバーみたいに口うるさそうだしさぁ。面倒すぎるだろ」
 一気にそう吐き出すと、根津は隣の二十里を睨め付けた。
 だが、二十里は大きく目をしばたたかせている。
「何だよ?」
「いや、別に」
 歩きながら訝しげに振り返る根津に、二十里は曖昧な笑みを浮かべた。
 やがて自教室に辿り着くと、根津は後方の扉を片手で開けた。教室の中には他の生徒の姿はなく、譲崎ネロしか残っていなかった。彼女は最後尾にある自分の席に座り、がたがたと椅子を揺らして日誌を睨みつけている。
「遅いぞ根津、日直の仕事はまだ残ってんだぞ!」
 扉が開く音に、ネロは頬を膨らませて顔を上げた。そして根津の背後に立つ二十里の姿に気付くと、「げっ」と顔をしかめている。
「分かってるってば。そう言うお前は俺がゴミ捨てに行ってる間に日誌書き終わったんだろうな?」
 だがその言葉に、ネロは露骨に視線をそらせ、口ごもった。
「おい、なんだその間は」
「半分は終わったよ、ウン」
「ちょ、意味ワカンねぇ!」
 根津は足早に教室に入ると、ゴミ箱を教室の隅に放り出し、机の上に広げられた日誌を手に取った。
「半分どころか全然終わってねぇじゃねーか!」
「だって、ボク文章書くの苦手だしぃ」
 日直の感想欄以外は終わらせたと胸を張るネロに、根津は頭を抱えている。
「二十里先生がいる間に終わらせるぞ!」
 ネロの席の前にある自分の椅子を引くと、根津は後ろ向きに腰掛けた。そしてネロが手にしているシャープペンシルを奪い、開いた日誌へ走らせていく。
「何言ってるんだい、鍵と一緒に職員室までちゃんと届けたまへっ」
 二十里は小さく肩をすくめると、慌てる二人に背を向けた。
「先に言っておくけど、「特になし」は不可だからね」
「げ、ちょっと待ってよ!」
「待ってって言ってるだろー!」
 背後で、根津とネロの声が重なった。
 しかし二十里はそれを無視し、足取り軽やかに職員室へと足を向ける。
 数歩足を進め、彼は肩越しに教室を振り返った。
「僕は、クラスの男子ってつもりで口にしたんだけどね……?」
 だがその囁きは、口論を始めた二人の声に一瞬でかき消された。


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