僕と稲垣さんが付き合いはじめたのは体育祭が終わってからだが、青々とした葉が赤色に染まり、地面を覆う頃には、京一達にも僕と稲垣さんの関係が知られるようになった。京一も那由多も晴美も、稲垣さんが僕たちの秘密を知っている協力者であること、大人には秘密にすることをなんだかんだの末に了解し、協力してくれるようになった。山本先生辺りにはバレているような気がしなくもないが「不純異性交遊はいかんぞ」と言われるくらいで、他には何も言われていない。多分、黙認してくれているのだろう。
 瞬には「夏休み中、あれだけいちゃいちゃしている所を見せ付けられちゃぁ、誰だって分かりますよぉ」と言われた。別にいちゃいちゃした覚えはない。一緒に勉強したり、プールに遊びにいったり、シーズン中に海の家の手伝いをしてもらったくらいだ。そう返すと、瞬には「そういうのをイチャイチャしてるって言うんですよ」と呆れられた。
 その時、ついでに瞬に尋ねたことがある。
「そういや、先に稲垣さんから相談受けていたんだってね」
「あ、バレた?」
 瞬はあっさりと白状した。
「だって八葉さん、あの一件がなければ、先にひかる先輩から告白されてもイエスって言わなかったでしょ?」
 多分そういう返事をしただろうから、黙って頷いた。
「そしたら八葉さんからあの相談受けて、あ、ラッキーと」
 取り急ぎセッティングだけして、あとは自分でどうにかしてねと稲垣さんに予め言ってあったらしい。
「タイミングが良かったんですよ、たまたま」
 そう言って、瞬は笑った。
 しかしきっかけはともかく、稲垣さんと一緒にいるのは楽しかった。
 お互いが小さい頃の話とか、天網のこととか、昨日見たTV番組の話とか、つまらない事から重要なことまで色々話をした。稲垣さんのおかげで、抱えているものが少し軽くなった気がする。
 自分の意見がはっきりと言える強さと、例え興味があっても相手を慮って訊いてこない優しさ、両方を程よいバランスで持ち合わせている彼女に僕は惹かれていた。これが好きという感情なのだとしたら、僕は結構前から稲垣さんが好きだったと気がついて、けれどもそれは恥ずかしくて口には出せなかった。しかし、彼女は僕が好きだとはっきり口にした。だから僕もちゃんと好きだという気持ちを伝えるべきだと思う。
 けれどもなかなかちゃんと伝えられる機会も勇気もなく、代わりに僕は彼女を苗字ではなく、「ひかる」と名前で呼ぶようになった。
 そして慌しく最終学年になって、僕が生徒会長、ひかるがメディア委員長になってそれぞれの仕事に馴染んだ頃に、『時』が前触れもなくあっさりとやってきた。



 膨大なニュースの中から必要な情報だけを抜き出し、整理するという作業はあまり得意ではない。こういうのはひかるが得意だから、今までずっと頼りっぱなしだったせいもある。しかし今は彼女の力を頼るわけにはいかないので、僕は生徒会室で端末を繋いで、出来うる限りネットで世界中の情報を集めていた。
 同じ生徒会室では、京一と晴美が協力しあって、床に新聞紙と紙を広げて文化祭のポスターを作製しているし、那由多と瞬は窓辺に肘をついて、校庭を見下ろしている。
 放課後によくみかける光景だった。
 ただし、学校の上空を二隻の宇宙船が占拠している以外は。
 学校どころか、天網市全体を覆うほどの巨大な戦艦だった。夜明けと共にやってきて、それが宇宙連邦の宇宙船というのはすぐに分かったが、間もなく二隻目が現れた。滑らかなフォルムで天使の羽のように淡く光る連邦の船とは異なり、直線的なデザインで、深い海底の色に輝いていた。おそらく宇宙連盟の船なのだろう。案の定、その船からは、何時ぞやの柔道大会で見かけた少年が降りてきた。
 真守家では、祖父を始めとする一族が集って、政府、宇宙連盟、宇宙連邦との会議を開いている。そして僕たちタタカイビトは、その会議には参加させてもらえないので、臨時休校になった学校に集っていた。宇宙船の様子だけでなく天網市全体が見渡せる学校で、何かあったらすぐに飛び出せるように。そして関係ない生徒を巻き込まないように。
 しかし臨時休校にも関わらず、マモリビトである生徒達は登校し始めていた。マモリビトの長である晴美が指示したという。僕たちタタカイビトを守るために。つまり今学校にいるのは天網の民だ。だから僕は生徒会長として、文化祭の準備日にするように各クラスに通達することにした。
 ネットでは、天網市から脱出しようとしている人々と上空に浮いている二隻の宇宙船の映像と、これから天網市で宇宙人との会談が行われるという旨のニュースをずっと流している。そして国連からの声明も発表されたようだ。翻訳ソフトで日本語に変換しながら、僕は海外のニュースサイトを見つめた。
 「巻き込まれていない子などいない」と晴美は言っていた。でもマモリビトもタタカイビトも、同じ天網の民だ。天網の民じゃないひかる達は、まだ巻き込まれてはいないだろうし、これから何が起ころうとも守らなければいけない。ひかる達は天網の民の使命とは関係ないのだから。
 しかし、ひかるのことだから、臨時休校だからといって家で大人しく待機しているとは思えなかった。宇宙船がよく見えそうな場所にでも行って、カメラで撮影していたらどうしよう。マスコミも多いから悪目立ちするようなことはしないとは思うが、電話でも入れた方がいいだろうか。僕は今朝、起きるとほぼ同時に真守家に向かってしまったから、もしひかるが僕に電話してきていたとしたら、入れ違いになっているはずだ。
 しかし急に別の不安が沸き起こって、端末を操作している手を止めた。
 ……村田始も同じような理由で学校に来ていなかったか?
 まさか、と顔を上げた瞬間、パソコンの画面が暗転し、ひかるのにこやかな笑顔と声に占拠された。
「はぁい、おっはよーございまぁす!」
 パソコン画面だけではない。生徒会室にもモニターが出現して、お馴染みのミスチュウニュースのログと、ひかるの上半身を映している。「放送室だ」と思ったと同時に、僕は生徒会室を飛び出していた。さっきまで座っていたパイプ椅子が倒れた音と瞬たちの声が聞えたが、構わず駆け出していた。
 いつもなら距離など感じないのに、生徒会室と放送室がこんなに長く感じたのは初めてだった。急ぐ余り足がもつれて転びそうになる。走っている間もひかるの放送が聞えていた。いつもの明るい口調でハキハキと、手短に現状説明と注意事項などをざっくばらんに伝えていた。ひかるらしい放送だと思うと同時に、彼女が既に放送室に侵入していた事に気付かなかった自分に腹が立って仕方ない。
 ようやく放送室の扉が目に入って、僕が勢いに任せて開けた時には、ひかるはちょうど放送を終わらせたところだったようだ。
 なんで……なんでここにいるんだ?!
 そう叫びたい衝動を抑え、荒い呼吸が収まるのを待つ。ひかるは、放送室に飛び込んできた僕に少し目を丸くしていたが、いつものように笑みを浮かべた。
「やあ、おはよう」
「……どういうことだ」
 詰問するような低い声が出た。しかしひかるは、飄々と言葉を続ける。
「どうって、こういうことだよ」
 そして側にあるマウスを片手で操作し、分割したモニターに世界中のサイトや報道番組を映し出した。そして、現状を淡々と説明し始める。自分では探し出せなかったが、ひかるが映しているモニターには、国連事務総長の声明文だけでなく、アジア代表、ヨーロッパ代表が日本に向けて出発した映像が流れていた。
「これはかなり前から入念に進められた計画だよ。伊藤官房長官や村田くんのお父さんは、日本の代表というだけでなく、この計画の中心人物だった。だから……」
 しかし、僕はひかるの話を遮って叫んでいた。
「君は僕らとは違う!マモリビトでもないし、天網の民でもない!」
 荒い呼吸のまま叫ぶ僕の様子に、ひかるは端末を操作していた手を止めた。そして僕を真っ直ぐに見つめ直す。
「八葉君、やっとそのことについて話せる時がきたね」
 その表情はとても穏やかだった。
「そろそろ、ちゃんと仲間にいれてよ」
 その口調には切望とか焦りとか妬みといった感情は感じられなかった。ただ優しさだけに包まれているように静かで、今のひかるは、公園で幼い我が子を見守る母親の表情に似ているような気がする。
「八葉君はいろんなことを話してくれたよね。子供の頃のこと、そして今起きている事も、私が巻き添えにならない程度で。そういう責任感や優しさが、私はすごく好きだよ」
 まぁ私が詮索したせいかもしれないけどね、と付け足して照れたように笑った。
「だから一緒にいさせてよ。八葉君が直面している『今』に」
 僕はひかるの言葉に、胸の奥が熱くなってくるのを感じた。そして同時に、どうして自分がひかるを好きなのか分かった気がした。
 大切な人を守りたい。
 その気持ちは僕らもひかるも同じなのだろう。けれども何が起こるか分からないのに、天網の民じゃないひかるを、これ以上巻き込むわけにはいかない。
 そう口に出そうとした時、僕の思考を先読みしたかのように、ひかるが先に口を開いた。
「それにね、私だけじゃないんだよ」
 そして悪戯が成功した時のような笑みを浮かべた。
「ひかるちゃんネットワークで続々登校中!」
 今度は僕が目を丸くする番だった。
 今さっきまで自主登校してきているのは天網の民だけだとばかり思っていたが、それにしては校門から入ってくる生徒の数が絶えていない。まさか、と呟きながら窓辺に寄った僕が見たのは、未だに続々と登校してくる生徒達の姿だった。その中にはクラスメイトの姿もあり、そして彼らは天網の民ではなかった。
 そういえば、殆どの委員会では、委員メンバー同士用の連絡表は作られていなかったが、メディア委員会にだけは存在していることを唐突に思い出した。各委員会は、必ず各クラスに男女一人ずついる。だから各クラスのメディア委員に連絡を取ってしまえば、あとは自動的に各クラスの連絡網経由で伝えることができる。いや、もしかしたらメディア委員のメンバーから委員長であるひかるに連絡を取ったのかもしれない。今までひかるが色々と知りたがったのは、ただ好奇心からだけでなかったこと、そして今日の為に彼女が彼女なりに準備していた事に改めて気付いて、驚くと同時に嬉しくもあった。
 ひかるは淡々と言葉を続けた。
「私や村田君が持ってるこの気持ちは、他の皆も同じだと思う。万が一、大きな事件が起きてしまうのなら、家にいたって、学校にいたって変わらない。戦いに影響するような力は、確かに私達にはないよ。でも、その過程や結果には、皆が左右される。それを自分の目でみたい、少しでも本当の事に近づきたいと思うことは、誰にも止められないんだよ」
 ならば、自主登校してきた生徒を、無下に追い返すわけにもいかないだろう。
 村田始が『おまじない』を受けて、天網の民でもないのに平気だったことを思い出した。祖父はそういう時代が来たと感慨深げに呟いていた。その祖父の気持ちが、今わかったような気がする。
「ひかる……君の言う通りだ。君や村田君を見ていると、何だか最後の一手は、チカラを操る僕らではなく、君たちが持っているんじゃないかと思ってくるよ」
 苦笑交じりに呟く僕に、ひかるは少し照れたような笑みを浮かべた。
「八葉君、最後の一手は皆が持っているんだよ、きっと。それに、偉そうなこと言っちゃったけど、それでも八葉君じゃないとできないことが、たくさんあると思う」
 ひかるの言葉を聞いていると、目の前で佇む彼女の輪郭がぼやけてきた。嬉しくても涙が出ることは知ってはいたが、今日初めて体感した。俯いたら目から溢れてきそうで、でもこのままひかるに見られるのも恥ずかしくて、僕はやっぱり顔を伏せた。
 百恵さまが時々仰っていた『やがて来る時』とは、初めてシングウとして戦った春先ではなく、例え御統中という小さな纏まりの中でも、天網の民とそうじゃない人の想いが一つにまとまろうとしている、今この瞬間を指していたのではないか。ひかるや村田始を見ていると、そんな風に思えてくる。
 僕や京一や瞬、那由多、晴美、そしてひかる。僕たちは子供だから大したことはできない。けれども、僕たちが僕たち自身で出来ることをやるべき時が来たのだと思った。
 僕は袖で目元をゴシゴシと擦って、顔を上げた。
「もう、秘密にする意味はなくなった。ひかる、手を貸してくれるね?情報公開だ」
「もちろん!」



 天網市に関して僕らが知っている事実を公表する。
 そう決めてから実行するまで、一時間も掛からなかったと思う。多分、生徒総会開催までの最速記録を更新しただろう。
 まず僕は生徒会メンバーに提案し、説得した。
「八葉さんがそういうのなら」
 那由多と瞬は不安げな表情で了解し、京一は話をしている間ずっと怒ったように眉を寄せていたが、晴美と一緒に静かに頷いた。そうして仲間の了承を得たところで、臨時生徒総会開催への手順を確認し、開始時間、各自の役割分担などを事細かに決めていく。
 その間にひかるはメディア委員を緊急召集し、機器の準備と段取りを始めた。
 いくら放送関係の機器取り扱いに長けているひかるでも、世界中のモニターに臨時総会を中継することは不可能だ。受信できるのはせいぜい天網市内だろう。しかし、今の天網市には世界中のマスコミが押し寄せている。彼らに提供さえできれば、あとは自動的に世界中へ配信されるという算段だった。それにウェブ配信であれば、名実共に世界中に放送することができる。ひかる達はその為の準備に取り掛かり、いつでも配信できる手はずを整えた。
「なーんか、八葉さんとひかる先輩の、立場を超えた愛が世界を動かすって感じぃ?」
 そう茶化す瞬に、那由多が「無駄口聞いてないで手伝いなさい!」と怒っている。メディア委員のカメラ担当者がテストしている中、京一が生徒達を中に誘導し、晴美が各クラス委員長から出欠状況の報告を受けていた。
 そんなホールの様子を、僕とひかるは音響室で見渡していた。ひかるはパイプ椅子に腰掛けて、機器を忙しなく操作している。僕はその傍らに立っていた。
「へぇ、カメラ三台も使うのかい?」
「みんな気合入ってるよぉ!」
「しかし、よくこんなに映像確保していたね」
 僕は、ひかるがモニターに映しているシングウの映像に感心した。東京の臨海副都心での初めての戦闘から、天網海岸沖に現れたシングウ、そして種子島での映像まであった。
「そりゃ、話題の白い巨人だもん」
 こんなこともあろうかとできる限りの番組を録画してたんだよね、とひかるは片手で端末を動かしながら、胸を張った。
「で、そういう順番で話す?」
「そうだね、まずは天網の民の成り立ちからかな」
「じゃぁその間は、シングウの映像は出さないで、八葉くんをなめていくね」
 なめる、というのは一人をアップで映す時などに、カメラを右から左、左から右というように向きを変えて映していくことだと説明された。
「その後は、内容に合わせてシングウの映像を出す感じでいいかな?」
 カメラの立ち位置、手順などは入念な打ち合わせをしたが、喋る内容については大まかにしか説明できていない。だから各カメラが捉えてくる映像を把握しつつ、背後にあるモニターに映す映像や、配信する映像として何を選ぶかなど、それらは全てひかる達メディア委員に一任していた。臨時総会中はかなり忙しいはずだ。
「打ち合わせする時間があまりなくてすまないな」
「ま、しょーがないっしょ」
 僕が詫びると、ひかるは苦笑した。
 ひかるの作業を邪魔するのも悪いので、邪魔にならないように少し離れてその作業を見守っていると、やがてひかるは小さくガッツポーズをした。どうやら作業が終わったらしい。「お疲れさん」と声をかけると、ひかるは肩越しに振り返って小さく笑みを浮かべた。
「もしかして緊張してる?」
 そう訊かれて、僕は正直に頷いた。
「ひかるはどうなんだい?」
「ちょっと緊張してるかなー」
 冗談めかすような口調だったが、ホールを見渡す視線は硬かった。世界中に生中継なんて初めてだろうから、やはり緊張しているのだろう。
「大丈夫、きっと上手くいくよ」
 自分に言い聞かせるようにひかるが呟いたので、僕も頷いた。
「そういえば」
「なぁに?」
 緊張しているせいなのか、今の状況と全然関係ないシーンが急に脳裏に蘇えってきて、思わず口に出していた。
「いや、ひかるにチカラを見られたときの事を急に思い出しちゃって」
 もしあの時、ひかるが体育倉庫にこっそり居なかったら、僕らは今一緒にいなかっただろうし、こうして行動することもなかったかもしれない。『いま』が無かったかもしれないと考えると、不思議な気分だった。
「あの時、ひかるが泣いていたような気がしたから」
 眼鏡の奥の、丸く見開かれていた瞳は潤んでいて、目元が少し赤くはれていたような気がする。しかし自分の気のせいかもしれないし、訊くのも悪いような気がして、今の今まで口にしたことはない。訊ねると、ひかるは、少し恥ずかしそうに説明した。
 前の日に、お父さんと喧嘩をしたという。理由は、急な仕事が入って見に行けなくなったから。しかし大騒動の結果、何とか都合をつけてちょっとだけ見学してくれていたそうだが、その時お父さんに晴れ舞台を見せるはずが、大失敗をしたという。
「だから、誰もいない倉庫でちょっと自己嫌悪になっていたら、八葉君が来たってわけ」
 そして僕のチカラを見た。
「でもそのおかげで、今があるんだから、世の中不思議だよね」
 感慨深げに呟きながら、ひかるは三つ編みにしている自分の髪を撫でた。
「そうだね」
 僕も頷いた。
 僕はひかるが好きだ。時々小学生っぽい仕草をするところも、冷静に状況を見極めようとするところも、さり気なくフォローを入れる優しさも、全てひっくるめて好きだ。そして彼女と出会えたこの天網の町も好きだ。使命に押しつぶされそうになる時もあるけれど、それでもこの町が好きだ。だから守りたいと願う。
 僕はひかるの手を握っていた。ひかるはそれを暖かく包んだ。それだけでチカラが湧いてくるような気がするし、落ち着いてくる。
 僕たちは手を繋いだ。
「頑張ろう」
「うん」



 間もなく、生徒総会開始の時間だ。
 僕は舞台中央に進んだ。ホールの遥か後方で、指示を出しているひかるの姿が見えた。僕の視線に気付いたひかるが、片目を閉じて親指だけを立てたサインを出した。その姿を見て、肩に入った余分な力が抜けていくような気がする。
 僕はホールを見渡し、ゆっくりと口を開いた。
「ここ、天網市には秘密がありました。ました、というのは、もう秘密にする意味がないからです……」
<終>

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