序章
暗魔と書いて「くらま」と読む。 鬱蒼と茂る木々に覆われ、昼でもなお薄暗い鞍馬山のことをかつてはそう記した。鬼や天狗などの魔性が住まう地とされ、幼少時代の源義経が鞍馬の天狗相手に武芸の鍛練を積んだという伝説がよく知られている。 その鞍馬の山奥を、闇夜に紛れて駆け抜ける小さな影があった。黒のセーラー服に身を包み、球形の飾りを触覚のように頭上で伸ばし、大きく揺らしている。艶のある黒髪は後頭部で二対の輪のように結ばれ、前髪は太い眉毛の下で切り揃えられていた。 蛇のようにうねる大樹の根を飛び跳ねていく度に、黒のセーラー服の下から白い素肌が覗いている。そして背負った猫型のリュックからは、目貫だけでなく柄巻まで漆黒に設えられた柄と銀色の鍔が、大きくはみ出していた。 リュックに斜めに差された日本刀さえ気にしなければ、どこからどうみても女学生にしかみえない。 だがその小さな影を、四つの大きな影が追っていた。 先頭を行くのは、翠色を主体とした山伏装束に銀髪のかつらを被った黒の天狗面である。そのすぐ背後には黒の忍装束と黒のカラス天狗の面を被った者たちで、歌舞伎のカツラのような長い白髪を風になびかせ、木々の間を縫うように駆けていた。 ほう、と梟の鳴き声が山中に響いてくる。 徐々に背後に迫ってくる天狗達に、影は懐から緑色に煌めく宝石がついた指輪を取り出すと、片足を軸にして身体をくるりと反転させた。そしてその勢いを乗せて、大きめの宝石がはまった指輪を天狗達へと投げつけた。 天狗たちは素早く身を翻したが、指輪は地面に落ちるよりも先に煌めいた。宝石部分から緑色の閃光が迸り、同時に爆風を巻き起こす。獣が唸るような爆音と共に周囲の木々が切り刻まれ、倒れた巨木が山を揺らした。 爆風が天狗達に襲いかかるのを肩越しに視認し、影は唇の片端を大きく持ち上げた。そして再び山道を駆けだしたが、数歩先の大木の傍らを通り過ぎた瞬間、何かにリュックを掴まれて仰け反った。慌てて身体を反転して大きく飛び退くと、リックに差し込んでいた日本刀がずるりと引き抜かれる感触がある。頭上へと目を向けると、緑色の蔓に巻き付かれた日本刀が、三日月のように宙に浮いていた。 刀を掴む蔓は、大樹の枝上から垂れている。 影は袖口に潜めたナイフを手にしたが、飛びかかるよりも先に日本刀はさらに上空へと舞い上がった。小さく舌打ちしつつ目で追うと、太い枝上に山伏姿の天狗面が立っている。蔓はその天狗面の左袖下から伸びており、蔓を巻き付けたままで日本刀を掴んでいた。 「お嬢さん……でいいのかな?悪いけどこれは返して貰うよ」 追走劇に息を乱した様子もなく、くぐもった気さくな声音を仮面の奥から漏らすと、山伏姿の天狗は大樹の枝を蹴った。隣の枝へと飛び移り、さらにその枝を蹴って、カラス天狗達が爆撃を受けた地面へと着地する。 と同時に、山伏姿の天狗が闇に呑まれるように消えた。 影が目を凝らすと、薄く広がった土煙の奥に、壁のように遮る闇が広がっている。黒壁のようなそれはゆらゆらと揺れると、収縮して人の形へと変わった。それはカラス天狗のシルエットに似ていたが、シュッと風を切るような音と共に地面に吸い込まれていく。 その奥から、カラス天狗たちが姿を現した。腰に差した日本刀を抜いて逆手で構え、中央のカラス天狗は両手で持った日本刀を正面で構えている。三人とも白髪が乱れてはいたが、先程の爆風でダメージを受けた様子はなかった。 その背後では山伏姿の天狗面が奪い返した日本刀を腰に差し、様子を伺っている。 「正体を現せ、怪しい奴め!」 両手で刀を構えたカラス天狗が、怒りに満ちた声を挙げた。彼の足下に人型の黒壁は潜っていった。つまりアレは、彼のトイズということになる。 「カラス天狗のお面を付けた人に言われたくないですぅ」 影は頬を膨らませ、女学生が怒った振りをする時のように唇を尖らせた。 「植物を操るトイズに、影を操るトイズですかぁ?面白いトイズの人たちが揃ってますねぇ」 手にしたナイフを懐に仕舞いながら、彼女は興味深そうに正面のカラス天狗を見やり、その奥にいる山伏姿の天狗面へと目をやった。仮面で表情は隠れてはいるものの、正面のカラス天狗は剣呑な敵意を隠そうともしていない。 「貴様……っ」 「分かりやすい挑発に乗ってどうするんだい」 山伏姿の天狗は軽くたしなめると、小さな影を見据えた。 「君、ただ者じゃないのは分かるけど、何者なんだい?」 山伏姿の天狗面は相変わらず気さくな口調だったが、影に目を向けたまま腰を僅かに落とし、両手には苦無を構えている。 「ただの可愛い女子学生ですよぅ」 影は、山伏姿の天狗にチュッと投げキッスをして見せた。 「やっぱ、ただのこそ泥じゃなさそうだねぇ」 天狗面がそう呟くとカラス天狗たちは散会し、十分な距離を保ちながら影を四方から取り囲んだ。影の正面には山伏姿の天狗面が、背後には影を操るカラス天狗が陣取っている。 突破するなら左右に立ち塞がるカラス天狗を倒すのが楽だろう。だが、彼らは未だトイズを見せていない。もしかすると持っていないかもしれないが、残り二人のトイズは、月光の影濃い山中で同時に相手をするには面倒だろう。 影は小さく肩をすくめると、わざとらしく「怖いですぅ」とおどけてみせた。 「なら、どうしてここの魔王殿に奉納されている宝刀なんて盗んだんだい?」 山伏姿の天狗面は、仮面の奥から呆れた声音を漏らした。だが場慣れしているのか、口調とは裏腹にいつでも飛びかかれる姿勢を保ったままでいる。面倒な相手だと眉を顰めながら、影は彼の腰にある日本刀を指さした。 「だってそれ、噂に名高い妖刀「九十九折り」じゃないですか」 通常、柄巻きは目貫とは異なる色布が用いられるが、「九十九折り」と呼ばれたその刀の柄は、柄全体が闇夜のような黒色にあつらえられていた。刃が収められた鞘も同様に漆黒だったが鍔だけは白銀で、闇夜に浮かぶ三日月のような凍えた風情を醸し出している。 「でもそれ、偽物ですよねぇ?」 影は小さく肩をすくめると、言葉を続けた。 「妖刀としては偽物でも骨董品としては良さげだったから、行きがけの駄賃代わりに貰っておこうかなーなんて思ったんですけど」 そして一息吐くと、両手を背後に回した。そして子供が父親に強請るような上目遣いを、山伏姿の天狗面へと向けた。 「本物の「九十九折り」はどこなんですかぁ?」 甘ったるい口調と共に、可愛らしく小首を傾げる。山伏姿の天狗面は「参ったなぁ」と小さく苦笑を漏らすと、低い声音を発した。 「斬れ」 追跡者の中で唯一気さくさを醸し出していたが、上着を脱ぎ捨てるように空気を一変させている。その変わりように、やはり本物は別の場所にあるのだと影は確信した。 そしてこの山伏姿の天狗は、その場所を知っている。 影は唇の片端を大きく持ち上げた。 「しかし青天狗様。それでは本部の命令と異なりますが」 影の背後のカラス天狗が、確認を取るように冷静な声を発した。だがその口調には戸惑いがない。 「責任は俺がとる。コイツを京から出すな」 「はっ」 青天狗と呼ばれた山伏姿の天狗面は、影を見据えたまま苦無を胸元まで持ち上げた。カラス天狗達も刀を構え、影を取り囲んだ輪を徐々に詰め始めている。 かちゃり、と金属音が響いた。 「あれれー?勝手にやって、後で怒られませんかぁ?」 影は軽く周囲を見渡すと、右の人差し指だけを伸ばして、自分の唇に触れた。 「でもアタシのトイズに勝てますかねー?」 両目を細め、唇の両端を大きく持ち上げていく。 その笑みに山伏姿の天狗が片足をずらし、体重を移した。そして一気に踏み出そうとした瞬間、朗々とした声が森の中に響いた。 「待て、青天狗!」 山伏姿の天狗面やカラス天狗達の声と比べると、齢を経た貫禄がある。 周囲の木々が大きくざわめいた。 空気が震えるほどの威圧感に、影は声がした方へ顔を向けると、闇の中から浮かび上がるように黒の羽織袴姿の天狗面が歩み出てきた。腰には二対の日本刀を差し、黒の天狗面と銀の長髪で顔を覆い隠している。 その傍らには、同じく黒の天狗面と銀色のかつら、そして白の狩衣姿に身を包んだ男が控えていた。 山伏姿の天狗面や狩衣姿の天狗面とは違い、羽織袴姿の天狗面にだけ、仮面の目尻に朱の隈取りが施されている。 「頭?!どうしてここに……」 山伏姿の天狗は影を見据えたまま、現れた天狗面達に息を呑んだ。影は目を細め、「きゃは!」と弾んだ笑い声を漏らしている。 「党首・石川五右衛門自らのお出ましだなんて、感激ですぅ」 石川五右衛門と呼ばれた羽織袴の天狗面は、影の右手方向で刀を構えたカラス天狗の傍らで足を止めると、小さな影を見据えた。 「貴殿は、あの「教授」の末裔とお見受けするが」 低いバリトンの声が黒の天狗面の奥から響く。 影は満面の笑みで応えると、場違いまでに朗らかな声を発した。 「いいえ、まさかの本人、森・アーティちゃんでっす!」 影ーー森・アーティは女学生の無邪気さそのままに片手を上げると、黒い瞳を煌めかせた。 「気をつけろ、トイズを使うぞ!」 一瞬先に、狩衣姿の天狗面が嗄れた声で叫んだ。 だが、森・アーティの瞳が煌めくと同時に、彼女を包む円形の黒い光が現れ、瞬く間もなく周囲へと広がっていく。 その中に飛び込むように、山伏姿の天狗とカラス天狗達が森アーティへと襲いかかった。だが次の瞬間には、彼らは遙か後方まで吹き飛ばされ、地面に倒れ伏していた。ある者は仰向きで、ある者はうつ伏せとなって微動だにしない。 その一方で、二本の刀を抜刀した羽織袴の天狗面と森・アーティが刀で斬り結んでいた。 山伏姿の天狗面の腰にあったはずの「九十九折り」はいつの間にか森・アーティの手に握られ、その白刃を晒している。羽織袴の天狗面は、足元にうつ伏せで倒れた山伏姿の天狗面を庇うように、左手の小太刀で彼女の攻撃を受け止めると、右の打刀で突くように打ち込んだ。 森・アーティはその攻撃を跳び退いてかわすと、その勢いのまま背後の太い幹を両足で蹴り、宙へ飛び上がった。 頭上で刀を振り被り、体重と勢いを両腕に乗せていく。 同時に、彼女の黒い瞳が再び煌めき、羽織袴の天狗面は眼前で二刀を交差させると、その一撃を受け止めた。 刀がぶつかり合った音が大きく響き、火花が飛び散った。 羽織袴の天狗面は、森・アーティの黒い光を遮るように淡い金色の光に包まれ、彼の後方にまで広がっていた。その光の中で、彼の背後に立つ狩衣姿の天狗面が両手で印を結んでいる。 「急々如律令奉導誓願可不成就也!(キュウキュウニョリツリョウ ホウドウセイガンカフジョウジュヤ)」 バリトンよりもさらに低い声で唱えながら片膝を付き、印を結んだ両手を地面へと降り下ろした。と同時に、轟音が響き、足下が大きく揺れる。 まるで土の中に潜った何かが進むように土柱が立ち上り、森・アーティへと向かった。そして彼女を突き刺そうとするかのように襲いかかってくる。 彼女はすぐさま刀を投げ捨て、羽織袴の天狗面から距離を取ると、身を翻して大樹の枝上へと飛び上がった。そして枝から枝へと飛び移り、踊るように土柱を避けていく。 「へぇ、トイズとも違う変わった攻撃ですねぇ」 土柱の攻撃が収まると森・アーティは目を細め、木上から羽織袴の天狗面と狩衣姿の天狗面を見下ろした。土柱を避けた衝撃で彼女の黒髪は解け、舞い上がった土煙にゆっくりと棚引いている。 森・アーティは、土柱の攻撃で破れたセーラー服を脱ぎ捨てた。 その下にはマントのようなガウンをまとい、詰め襟に似た黒衣が覗いている。頭上には角帽を載せ、通常は菱形に被る角帽を、彼女は正方形に向けていた。その角には髪飾りと同じ球形の飾りがぶら下がっており、中国の皇帝が被る冠を連想させている。 腰まで伸びた長髪は真っ直ぐに切り揃えられ、少女のような面影を残しながらも、少年特有の凛々しさが現れていた。 「馬鹿な、その姿は……」 セーラー服からアカデミックドレス姿に一変した森・アーティに、羽織袴の天狗面は僅かに動揺を滲ませた。 「フフ、五条大橋の牛若丸みたいでしょー?」 森・アーティは唇の両端を大きく持ち上げると、腰に片手を当てて胸を反らした。 「ホントは女の子の姿の方が役得なんですよねー。皆優しくしてくれますし、気も許して貰いやすいですし」 「自分の血縁に憑依しているのか……?それとも本当にあの「教授」本人だと……?」 天狗の面で隠れてはいるが、その表情は驚きに満ちているのだろう。二刀を構えたまま息を呑む羽織袴の天狗面に、森・アーティは満足げな笑みを浮かべた。 「本人じゃなきゃ、このトイズを使いこなせるわけないじゃないですかぁ」 そう告げて肩をすくめると、羽織袴の天狗面は訝しげな声をあげた。 「だがそのトイズは、かつての戦いで封印されたはず」 「取り返したんですよ。孫娘の手を借りて……ね」 森・アーティは大きな瞳を細め、唇の片端を持ち上げた。 「見たところ、そちらのトイズは先代譲りみたいですねぇ?」 太い眉を寄せ、値踏みするような眼差しを羽織袴姿の天狗面へと向ける。 二人は暫し無言で睨み合った。 「しかし「教授」自らが出てくるとは、一体どういう風の吹き回しかな?」 淡々とした口調で尋ねる羽織袴の天狗面に、森・アーティは再び肩をすくめた。 「お礼参りというか、表敬訪問みたいなものですよ」 そして片手を上げて外套をはためかせると、そのまま頭上の角帽子へ手を伸ばし、胸元へと下ろした。 「先代には大変お世話になりましたからねぇ」 森・アーティは吐き捨てるように呟くと、漆黒の瞳を懐かしそうに細めた。 「でも、貴方の片割れには色々とお世話になりましたし?」 同じ言葉でありながら微妙にニュアンスを変えた言い回しになって、羽織袴の天狗面は二刀を構えたまま森・アーティを見上げた。 「良いお友達だったのに、亡くなったそうで残念ですぅ」 僅かに哀悼の意を滲ませた笑みに、羽織袴の天狗面は「それはどうも」と儀礼的に返した。 水気を含んだ風が頬を刺すように吹き抜け、森・アーティのガウンと天狗面たちの長髪を小さく揺らしていく。 細い枝が風でぶつかり合う音が、山中に小さく木霊した。 再び無言で睨み合う。 その均衡を崩すように、狩衣姿の天狗面が片足を踏み込んだ。だが、羽織袴の天狗面がそれを制した。 「下がれ、白天狗」 「しかし五右衛門様……!」 再び風が森の中を吹き抜け、木々を大きく揺らしていく。 「お前たちもだ」 羽織袴の天狗面は、頭上の森・アーティに目を向けたまま静かに告げた。森・アーティは苦笑を浮かべ、手にした角帽子を再び頭上へと載せている。 「流石のアタシも、幹部二人と石川五右衛門を同時に相手にする気はないですよぅ」 小さく首を傾げてみせながら、森・アーティは羽織袴の天狗面が構えている二刀へと目を向けた。 「それで、本物の「九十九折り」はどこなんです?」 白銀に輝く彼の二本の刃は、闇を照らす三日月のように淡い煌めきを放っている。 「それじゃぁないですよねぇ?」 「これは我が愛刀にして二対の妖刀、六道の辻」 確認するように尋ねる森・アーティに、羽織袴の天狗面は淡々と返した。 「恥ずかしながら、九十九折りは私の片割れが数十年前に持ち出して以来、行方知れずのままでね」 「えぇー、嘘くさぁい」 大袈裟に驚きの表情を浮かべてみせる森・アーティに、羽織袴の天狗面は僅かに腰を落とした。 「今頃はどこぞで売り飛ばされているか、墓標代わりになっているやもしれんよ」 そして眼前で二刀を交差させ、片足を踏み出した。 「これ以上この京に手出しするとあらば、この生(しょう)の化野と死の鳥辺野でお相手しよう」 「あは。面倒くさいから、結構ですぅ」 森・アーティはうんざりしたように両眉を寄せると、両手を軽く上げ、降参するかのようなポーズを取った。そしてそのまま大樹の枝を蹴って飛び降りる。 彼が宙に浮くと、その体に向かって鋭く尖った黒い影が直角に折れながら伸び、足元にあった太い枝が蛇のように大きくうねった。そして枝が森・アーティの足首に巻き付くと、影はその身体へと絡みついた。 影にぐるぐる巻きにされ、枝に片足を取られて逆さにぶら下がった格好になった森・アーティの眼前に、間髪入れず抜刀したカラス天狗が飛び込んでくる。 振りかぶった刀が振り下ろされた瞬間、手にした日本刀が真っ二つに折れて弾け飛んだ。同時にカラス天狗の身体はくの字に折れ、大きく吹き飛ばされていく。 「六号?!」 狩衣姿の天狗面が、悲鳴に近い怒号を挙げた。とっさに駆け寄ろうとしたが、間に合わない。 カラス天狗の細い身体が大樹に叩きつけられそうになった寸前、柔らかな葉を茂らせた枝が、クッションのようにカラス天狗を抱き止めた。その傍らに、倒れ伏していたはずの山伏姿の天狗面が、片膝を付いて幹に手を当てている。 「じゃ、バイナラ〜」 木々が擦れあう音と共に、森・アーティの声が響いた。 既にその姿は煙のようにかき消え、その片足に巻き付いていたはずの枝は、残骸と化して地上に散らばっている。 そこへようやく、後続部隊として十名程の徒党になったカラス天狗達が駆けつけた。彼らは森・アーティを追おうとしたが、羽織袴の天狗面が片手を上げて制止した。 「これ以上の深追いは無用」 そして抜刀した二本の刀を鞘に戻し、地面に転がった日本刀へと足を向けた。片膝を着いて拾い、刃を手にすると立ち上がった。胸元に翳すと、白刃の中程にくっきりと亀裂が入っている。 羽織袴の天狗面が刀を手にしたまま振り返ると、後から駆けつけたカラス天狗達は、地面に倒れたままのカラス天狗達を抱き起こし、怪我の度合いを確認していた。山伏姿の天狗面はトイズを使って枝を伸ばし、枝に抱かれて気を失ったままのカラス天狗をゆっくりと地上へ下ろしている。その傍らで、狩衣姿の天狗面は安堵の息を漏らしていた。そして他のカラス天狗たちに指示を出すと、気を失っているカラス天狗たちを担架に乗せて運ばせていく。 「頭、面目ない」 頭を下げつつ鞘を両手で差し出す山伏姿の天狗面に、羽織袴の天狗面は、鞘を片手で受け取った。 「致し方なかろう」 宥めつつも、精進せよと檄を飛ばす。山伏姿の天狗面は、怒られた幼子のように小さく首をすくめた。 「しかし五右衛門様、奴は随分「九十九折り」に拘っていたようですが」 羽織袴の天狗面が差し出された鞘に刀を収めると、カラス天狗達に指示を出し終えた狩衣姿の天狗面が、山伏姿の天狗面の横に並んだ。 「あれは先代が「教授」と対峙した時の得物よ」 そう呟き、羽織袴の天狗面は、手にした「九十九折り」を狩衣姿の天狗面へと片手で放った。 「余程目障りだったとみえる」 狩衣姿の天狗面はそれを両手で受け止めると、小さく息を吐き出した。 「ではやはり、先の偵都・ヨコハマで起きたというラードインパクトやらも……?」 「恐らく彼奴の仕業だろうな」 記憶に新しい騒動を口にする狩衣姿の天狗面に、羽織袴の天狗面は腕を組み、天を仰いだ。 生物の生存に必要な油分を全て奪おうとしたラードインパクトは、日本だけでなく世界中を巻き込んだ大騒動となった。騒動の中心地となったヨコハマ程ではないものの、この京も例外ではなく、市街地の大停電や交通麻痺などの大混乱が発生した。 今夜の「九十九折り」盗難騒動も、その混乱が収まった矢先の出来事である。 「しかし、危惧していた通りとなったか……」 夜空を見上げたまま、羽織袴の天狗面は片腕を自分の顎へと伸ばした。頭上では、森の大樹が天を覆うように枝を広げ、その隙間から僅かに欠けた月が淡い光を放っている。 「さて、どうしたものか」 指先で仮面に付いた顎髭を撫でながら自問する羽織袴の天狗面に、山伏姿の天狗面が身を乗り出した。 「若を呼び戻されては」 固唾を呑んで言葉を待つ彼に、羽織袴姿の天狗は顔を向けると、仮面の奥から小さな吐息を漏らした。 「あれで戻ってこなかった以上、帰れと伝えたところで素直に戻ってはくるまい」 「ですが……!」 なおも食い下がる山伏姿の天狗面に、羽織袴の天狗面は銀の長髪をかき上げた。 「確かに、そろそろ決断すべき頃合いだろうな」 そして深く息を吐き出すと、再び天を仰いだ。 「もはや、こちらから仕掛けるしかあるまい」 |