大きく頷くシャーロックに笑みを返すと、小林はシャーロックの手を引いて、通路の先へと進んだ。その先の扉を抜けると、渡り廊下へと出る。海に面した廊下は二階にあり、見下ろすと、下にはウミガメが泳ぐプールが見えた。途中で階下に降りる階段はあったが、そのまま渡り廊下を真っ直ぐに進むと、水族館名物のパンを売る売店に突き当たった。そしてその後ろには、階段状になった半円状のホールが広がっている。直接外の潮風が吹き抜けてはいたが、天井には、雨と強い陽射しを遮るような屋根がついていた。ホールの一番下の中央には、円形のプールがあり、側面は透明なガラス張りになっていて、悠々と泳ぐイルカの姿が見られるようになっている。
 プール近くの席はかなり空きがあったが、水が掛かるとの注意書きがあるせいか、そこに座ろうと近寄る人はあまりいなかった。小林はホールを見渡し、なるべく前方で水が掛からなさそうな席を探すと、シャーロックの手を引いてそこへと移動した。周囲は家族連れよりもカップルが多かったが、気にしないでそこに腰を下ろす。
 暫く待っていると、やがて楽しげな音楽と共に係員の女性が登場し、ショーが始まった。
 ショーは、宙にぶら下げたくす玉をジャンプして割ったり、大きな輪をジャンプしてくぐるといったものだった。
しかし、踊るように数頭のイルカが水面から揃って顔を覗かせたり、二匹同時に同じ高さでジャンプする様は美しく、見ていて楽しい。
 初めて間近で見るイルカの曲芸に感心しながら、小林はそっと隣のシャーロックを伺った。シャーロックは瞳をきらきらと輝かせ、芸が終わる度に懸命に拍手を送っている。
 小林の視線に気付いたシャーロックが、にぱっと笑みを返した。
「すごいですよねー」
「そうだね」
 二人で笑い合い、再びプールへと視線を戻す。
 ショー字体は三十分程度のものであったが、ショーが終わっても、シャーロックは興奮冷めやらぬ様子で、イルカが泳ぐプールを見下ろしている。
 ショーの感想を口にしながら二人は腰を上げ、一階へ出る通路へと進んだ。そして、ショーの合間に紹介された地下の展示室へと足を向けた。そこではショーを行っていたプールの下半分が見学できるようになっており、イルカも見学人を意識しているのか、ガラス戸の前でくるくると横向きに回転したり、子供達に見せつけるようにすいすいと周回している。
 ガラス戸の前でイルカの様子を暫く見学してから、二人は地下にある他の展示室へと足を向けた。
 薄暗い照明の中を進むと、少し手狭なホールの中に、深海を探索していた有人潜水調査船の実物が展示されている。どこの海でどのような調査を行い、何を持ち帰ってきたか等が地図や年表などで展示されており、ホルマリン漬けになったそれらや機体を、間近で見学できるようになっていた。
 食い入るようにそれらの説明を読みふけっていると、右手に柔らかな感触が触れ、小林は我に返った。目を向けると、深海をイメージしたように照明が落とされた展示室の中で、シャーロックがはにかんで小林を見上げている。
「やっぱり先生も、こういうメカメカしたのが好きなんですか?」
「メカメカ?」
 シャーロックの独特な言い回しに、小林は思わず吹き出した。
「だってクラスメイトの根津君も、こういう機械っぽいのが載った雑誌とか、よく読んでるんですよ」
「うーん、男子なら、一度は興味持つんじゃないかなぁ?
 電車とか、船とか車とか」
 そう言葉を続けると、シャーロックは「なるほど」と大きく頷いている。
 想定していたよりも水族館を満喫している自分に気付き、小林は思わず苦笑いを浮かべた。そして重ねられた彼女の掌をそっと握り返し、再び順路を進んでいく。
 地上階へと戻り、再び二階に上がってエスカレーターを降りたところに、出口があった。そしてその先にはミュージアムショップがある。
 二人はゲートをくぐると、ミュージアムショップへと足を踏み入れた。広々とした店内には、水族館のロゴが入ったクッキーやエノシマ名物のタコ煎餅だけでなく、この水族館が売りにしているクラゲを可愛くアレンジしたグッズが並んでいる。
「皆へのお土産、どれにしましょう?」
 シャーロックはそれらを一つ一つをじっくり眺めながら、肩越しに小林を振り返った。
「お菓子にしたら、お茶受けにできるから、ネロだけでなく、エルキュールやコーデリアも喜びそう……かな?」
 小林は彼女の後に続きながら、周囲を見渡した。
 ミュージアムショップの人通りが多いところに配置された菓子売場には、リアルな魚介が描かれた缶に入ったチョコ菓子や、デフォルメされたクラゲが描かれたクッキー、クラゲのシルエットと水玉がデザインされたスポンジケーキなど、様々な商品が所狭しと積まれている。
 その中から、小林はクラゲのシルエットがデザインされたスポンジケーキの箱を指さした。
「これとかどうかな? 中にクリームが入ってて美味しそうだと思うんだけど」
 箱が積まれた売場の中央には、それぞれの商品の中身がどういうものか、見本が置かれている。シャーロックは数歩戻って小林の横に並ぶと、それを凝視した。「八個入りだからちょうど良いんじゃない?」と小林が口にすると、シャーロックは軽く眉を寄せている。
「先生は食べないんですか?」
「え、僕らの分も勘定に入ってるのかい?」
「あっ、そっか」
 小林が眉を広げると、シャーロックは目を瞬かせた。
「じゃぁ、ネロとエリーさんとコーデリアさんで二個ずつにして、余った二個を先生と私で食べましょう!」
 そして八個入りの箱を手に取り、さらにその横にあった二個入りの小箱を上に載せる。
「その小さいのは?」
「アンリエットさんへのお土産です〜!」
 小林が尋ねると、シャーロックはえへへ、と笑みを浮かべた。そのままレジへ向かい、二人で会計して水族館を出る。
 土産の入った紙袋を小林が持つと、シャーロックは出口から右手へと進み、くるりと振り返った。
「先生、海辺に行ってみませんか?」
 ふわりとスカートが翻り、ポニーテールにした長い髪も一緒に大きく揺れている。
「いいよ」
 小林が笑みを返すと、シャーロックは顔を輝かせた。そいして再び身を翻し、軽やかに砂浜へと駆けだしていく。
 小林はゆっくりと後を追った。
 入場時に上を通った通路をくぐり、煉瓦作りの広場から短い階段を下りて、砂浜へと出る。
 天を仰ぐと、上空は青く澄んでいるものの、視線を下げるにつれ、白雲が薄く広がっていた。それでも海岸沿いの工業地帯や住宅街とおぼしき街並みを望むことはできる。
 階段近くには背の低い草が点在していたが、海辺へと近づくにつれ、乾いた砂に呑み込まれて目に付かなくなっていった。夏場であれば、この砂浜一帯に海の家が立ち並ぶのだろう。外に面していた水族館の渡り廊下では微かにしか聞こえなかった潮騒が、今ははっきりと耳に届いてくる。
「せんせー、こっちです」
 シャーロックの呼び声に、小林は顔を上げた。見ると、波間の少し手前で両手を大きく振っている。
 小林は、シャーロックへと歩み寄った。そしてその横に立ち、二人で海を眺める。
「水族館、楽しかったです!」
「そう? なら良かった」
 満面の笑みを浮かべるシャーロックに、小林は安堵の息を漏らした。
 そして、波間に近い方に小林が立ち、水族館とは反対の方向、エノシマ方面へと足を進めていく。
「また二人で遊びに行きましょうね!」
「そうだね」
 小林はシャーロックの言葉に流されるように頷いて、「ん? 二人?」と目を瞬かせた。
「皆と一緒も良いけど、また二人で来たいなって」
 シャーロックはワンピースの裾を指先でいじり、もじもじと顔を伏せるている。
 沸き上がる衝動のまま、小林はシャーロックを抱きしめた。
「せ、先生?」
「そうだね。また二人で来よう」
 そして右手は背に回したまま、左手でシャーロックの頭を軽く撫でる。
「せんせー!」
 無邪気な笑みを浮かべて、シャーロックは小林に抱きついたーーつもりだったのだろう。だがそれは、助走なしのタックルに似ていた。抱き合ったまま盛大にシャーロックに突き飛ばされる格好となり、小林の両脚は地面を離れ、シャーロックを抱きしめたまま地面へと転がり、尻餅をついた。
 ばしゃり、と大きな水飛沫があがる。
「せんせぇ?!」
 胸の上で、シャーロックが素っ頓狂な声をあげた。
 小林が背と臀部に響く鈍い痛みに顔を歪めながら上半身を起こすと、背と下半身に濡れた感触がある。砂浜に手をつくと、冷たい砂の感触があった。どうやらシャーロックを受け止めきれず、波間近くまで転がり、倒れてしまったらしい。
「わー、ビショビショですっ」
「大丈夫かい、シャーロック?」
「私は大丈夫ですけど、先生が……」
 小林は、胸元で見下ろすシャーロックを確認した。シャーロックは靴や足下が濡れた砂で少し汚れた程度で、服は無事そうだった。一方小林の方はというと、背中とズボンが盛大に濡れ、泥が付いている。
「はは、参ったな」
 小林は、真冬でなくて良かったと胸を撫で下ろした。飛ばされる途中で手を離したせいか、土産袋は砂浜に転がって無事である。
 ここまでの瞬発力は、怪盗帝国とやりあう中で身につけたものなのだろう。教え子であり恋人でもある彼女の成長ぶりを物理的に体感することになり、小林は苦笑を浮かべた。
 ごめんなさい、と瞳を潤ませるシャーロックに、小林は大丈夫だから、と笑みを返し、ゆっくりと立ち上がった。そして下半身の泥を払っていると、遠くから聞き覚えのある声が響いてくる。
「もう、シャロ! なにやってんのさ!」
「あ、ネロ」
「え?」
 目を向けると、ワッフル屋前で見かけた身長差のあるカップルが、小林達の方へと駆け寄ってくる。帽子を目深に被った黒髪の少女を正面から見据えて、小林はようやく、何故見覚えがあったのか納得した。黒髪のせいで分かりにくいが、声はまごうことなきネロである。
「そんなトコに突っ立ってないでさ、はやくこっちにおいでよ」
「え? あ、うん」
 ネロが階段辺りを指さし、小林はシャーロックの手を引いて、そちらへと足を向けた。ネロは転がっていた土産袋を掴み、シャーロックの隣りに並んでいる。
 小林はゆっくりと足を進めながら、肩越しにネロを見つめた。
 黒髪はウィッグなのだろう。とすると、ネロと一緒に青年は誰なのか。
 小林が顔を戻すと、ネロが指さした階段付近で、連れの青年がトートバック片手に佇んでいた。青年は両腕を組んでいたが、三人が近寄ってくると、黒縁の眼鏡を外して胸ポケットへと仕舞った。そして小林へと目を向ける。
「……石流さん?!」
 思わず、小林は声をあげた。
 眼鏡をつけていた時には穏和に見えた眼差しには、見慣れた鋭さが戻っている。いつも頭上で結んだ髪を解き、眼鏡を掛けただけで別人のように雰囲気が一変していた事に、小林は正直驚いた。と同時に、妙にこの二人が目についていた事に納得した。おそらく、無意識に元の二人の姿を重ね、認識していたのだろう。
「どうして」
「アンリエット様のご命令でしたので」
 小林が尋ねると、石流は眉を寄せた。
「命令?」
「巻き込まれたというか……」
 石流は深く溜め息を吐き、子犬のように傍らに寄ってきたネロの額を、軽く小突いている。
 他にも色々訊きたい事があったが、とりあえずそれらは呑み込み、小林は隣の少女へと顔を向けた。
「そういえば、シャーロックは全然驚いてないよね?」
「だって、ずっと後ろにいたじゃないですか」
 小林の問いに、シャーロックは不思議そうに小首を傾げた。
「ずっと?」
「ええと確か……エノデン駅の踏切を越えた辺りから?」
 走ってきた地元の男の子とぶつかりそうになりましたよね、とシャーロックは言葉を続けた。
 つまりあの辺りからこの二人に尾行されていて、しかしシャーロックはずっと気付いていたということになる。
 小林の顔からすっと血の気が引いた。
 それはつまり、ここまでの道のりをずっと観察されていたという事に他ならない。
 しかしシャーロックは気にした風もなく、えへんと胸をそらせている。
「だって、ネロの知り合いの大人って、小林先生と二十里先生と石流さんくらいしかいないじゃないですか。で、小林先生はここにいるし、ネロがあそこまでべたべたしてるってことは、二十里先生じゃなくて石流さんかなーって」
「べ、別にべたべたしてないよ?」
 シャーロックの指摘に、ネロが頬を膨らまして反論している。
「えー? だって、いつも食堂でおやつをねだる時ってあんな感じじゃないですかぁ」
「してないったらしてないー!」
 言い合う二人を目にしながら、小林は頭を抱えた。
「……君たち、いつもそんな事をしてるのかい?」
「い、いつもじゃないよ……?」
「いや、割といつもだ。むしろ毎日だ」
 目をそらせて答えるネロに、石流が淡々と口を挟む。
「でも、どうしてシャーロックは黙っていたんだい?」
「だって、私みたいにネロが石流さんとデートしてるのなら、邪魔しちゃ悪いかなって思ったんです」
 シャーロックの何気ない返答に、ネロが噛みついた。
「ちょっとシャロ、何言ってんのさ?! デートなわけないじゃん」
「え? 違うんですか?」
「違うってば! なんで僕が石流さんとデートしないといけないのさ!?」
 ひどい言われようだったが、石流は眉間に皺を寄せたまま、唇を固く結んでいる。
 ネロの言葉に、シャーロックは大きく目を瞬かせた。
「じゃぁ、何してたんですか〜?」
「えっ、そ、それは……その……」
 小首を傾げるシャーロックに、ネロは口ごもった。
「だいたいどうしてそんな、変装みたいな事をしてるんだい?」
 小林が優しく問いかけると、ネロは気まずそうに俯き、視線をさまよわせている。
「尾行実習の補習みたいなものだ」
 石流が、深い溜め息と共に口を挟んだ。
 そして彼の説明によれば、エルキュール、コーデリアも別の場所で実習補習中なのだという。
 彼女たちミルキィホームズは、基本は学業優先であるものの、事件や依頼によっては授業を欠席することもあるらしい。最近は特にカラー・ザ・ファントム関連の事件で欠席しがちだったという事で、今日はその為の補習ということだった。石流はその監督役として、今回ネロに同行しているという。
 小林は、彼女達が申し訳なさそうに、昨日急に用事が入ったと説明していた様を思い出した。こういう事だったのかと納得し、僅かばかり気の毒になる。
「あれ? じゃぁ、どうしてシャーロックには補習がなかったんだい?」
「それは、その、生徒会長が……」
 ネロがぼそぼそと口を開いた。
 どうやらシャーロックには抜き打ちテストだったらしく、尾行するネロと石流に気付けばOK、逆にネロはシャーロックに気付かれなければOKというルールだったらしい。
「で、小林とシャロに見つからないように今日の様子をレポートしてこいって……」
「え、じゃぁ今、私たちの前に出てきたらダメなんじゃ?」
 シャーロックが目をぱちくりと瞬かせると、ネロは呆れたような眼差しを返した。
「シャロと小林がずぶ濡れになって困ってるのに、関係ないじゃん」
 そして、「その為の着替えもちゃんと用意してるんだし」と、石流が持つトートバックを指し示している。
「アンリエット様のご指示です」
 石流は補足するように口を開いた。
「たぶん、あの二人は海辺で転けるか落ちるかしてすぶ濡れになるだろうから、ということでしたので」
 石流によると、学校指定のジャージを二人分用意しているということだった。小林が、広げられたバックの中を覗き込むと、生徒用の赤と、教員用のブラウン色のジャージが入っている。
「流石ボクの生徒会長だよね! ここまでお見通しだなんてスゴいなぁ」
「シャーロックがそそっかしいだけだろう」
 感心するネロの隣で、石流は軽く溜め息を吐いている。
「はは、すみません……」
 小林が軽く頭を下げると、石流はすまなさそうに眉を寄せた。
「申し訳ありませんが、下着はコンビニで買っていただく事になります」
「いえ。濡れてるのはズボンだけですし、多分大丈夫だと思います」
 まさか知らないところで生徒会長の世話になっていたとは思わず、小林は頬をかいた。とりあえずエノシマの入り口にあったコンビニか水族館のトイレを借りて、そこで着替えた方が良いだろう。
「それで、これからどうされますか」
 石流に改まって尋ねられ、小林は目を瞬かせた。
「我々は濡れた服を回収して、これから学院に戻りますが」
 今から洗濯すれば、乾かして今夜中に部屋に届けられると言う。石流の傍らでその説明を聞いていたネロは、ぷうっと頬を膨らませた。
「やだやだ、せっかくエノシマまで来たんだし、しらすピザ食べたい、しらす丼が食べたい〜!」
 小学生のように石流の背中を叩き、じたばたと抗議しているが、石流はそれを受け流し、小林へと向き直ったまま微動だにしない。
 小林が腕時計を確認すると、昼食にはまだ若干早い頃合いだった。だが、水族館からエノシマの店なり先程の道なりにあった店に移動するには、ちょうど良いだろう。
 しかし、門限まではまだまだ余裕があるものの、午後からはジャージ姿になる事を考えると、このままシャーロックとエノシマ巡りをするのもどうかと考えてしまう。
 小林が眉を寄せて思案していると、シャーロックが小林の服の裾を引いた。顔を向けると、シャーロックが大きな瞳で小林を見上げている。
「先生、私達もお昼を食べたら帰りましょうか」
「え、いいのかい?」
 シャーロックの提案に、小林は目を丸くした。
「午前中は先生を独占できたので、午後は皆で遊びたいです〜!」
 だからネロも石流さんも一緒にお昼を食べて一緒に帰りましょう、と提案している。
 石流は僅かに目を見開いたが、「それで二人が良いのなら」と頷いた。その言葉に、ネロが「やったー、しらすピザ、しらす丼〜」と小躍りしている。
 小林は、参ったなぁと頭をかいた。
 ネロと一緒にはしゃぐシャーロックを見つめ、気を使わせてしまった事がただただ申し訳なく思ってしまう。
 しかしそれとは別に、問題がもう一つ。
「あの、石流さん」
 小林は、二人から少し離れた位置に佇む石流に、そっと耳打ちした。
「何でしょう」
「あの、まさかとは思うのですが、その……」
 ネロは「二人の様子をレポートする」と説明していた。つまりその為にはじっくりと観察しなければならないし、隠し撮りをしている可能性が高い。
 小林の表情と口調から察したのか、石流は昨夜のように哀れみの色を浮かべた。
「アンリエット様のご命令でしたので」
「まさか、全部……?」
 見てたんですか、とは口に出さずに尋ねると、石流は小林からすっと顔を背けた。
「見てたんですね……?」
 確認するように小林が問いを重ねたが、石流が眼をそらせたまま無表情を保っている。
 小林は頭を抱えたくなった。石流の事だから、決して他言はしないだろう。だが彼の主に問われれば、事細かに報告するはずだ。
「とりあえず、まずは着替えてこられては」
 顔を背けたままバックを胸元に押しつけられ、小林はひとまず引き下がった。着替えてくる事をシャーロック達に伝え、水族館の出口からミュージアムショップへと戻り、ゲート近くにあったトイレへと入る。そこで手早く着替え、待っている三人の元へ戻ろうとしたが、ミュージアムショップの中ほどで足を止めた。レジに並んでいる時に目に入った物のある場所へと、足を運ぶ。
 それは壁の一角にぶら下げられた土産用のストラップで、ガラス玉のストラップだった。付け根の部分には青や緑など様々な色のビーズで装飾され、ビーズと同じ色の紐がついている。そしてガラス玉と並ぶように、イルカの飾りがぶら下がっていた。紐の部分についた宣伝文によると、電灯の光を吸収して、真っ暗な場所では光るらしい。
 小林は暫し考えた末、ピンク色のストラップを二本手に取り、レジへと持っていった。手早く会計し、シールだけ張ってもらってショップを出る。
 小林が周囲を見渡すと、三人は、入り口近くの柱付近に佇んでいた。出口から小走りで駆け寄る小林に気付くと、シャーロックは大きく右手を振っている。その隣りでネロも一緒になって両手を振っていたが、「先に行ってるね」と告げ、石流と並んで先に歩き始めた。
 どうやら気を利かせてくれたらしい。
 小林はシャーロックと並ぶと、先を行く二人から少し離れた距離を確保しつつ、ゆっくりと歩き始めた。シャーロックも、その隣をとことことついてくる。
「先生、また二人で出かけましょうね!」
 約束ですよ、と照れ笑いを浮かべると、シャーロックは歩きながら右の小指を差し出した。
 小林も「そうだね」と頷こうとして、僅かに顔を曇らせる。
 それが果たされるのがいつになるのか、正直分からなかった。もういっそのこと、里帰りするように、気にしないで彼女達の元へ顔を見せるのもありなのかもしれないと思う事はある。けれど、立ち直るきっかけをくれた彼女達には、胸を張って再会したかった。今回はイレギュラーだったが、次ことは、きっと。
 小林は意を決すると、シャーロックの小さな小指に、小さなガラス玉のストラップを指輪のように掛けた。 
「先生、これは?」
 シャーロックは、ほぇ、と小首を傾げている。
「お詫びというか、今日の記念というか……」
 しどろもどろに告げながら、小林はもう一つのストラップを、自分の右の小指にかけてみせた。お揃いだと気付いたシャーロックが、大きな瞳をさらに丸くしている。
「次の約束の印、かな?」
 小林は柔らかな笑みを浮かべると、己の右の小指をシャーロックの小指に交差させ、小さく頷いた。



<了>


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