<CI・NE・MA>

 イサミ達と昨日観に行った映画のタイトルを口にした途端、先程まで満面の笑みを浮かべていた目の前にいる女性が困ったように眉を寄せて俯いたので、雪見ソウシは、自分がとんでもない失敗を犯した事にすぐに気がついた。
 だから、映画の感想を述べかけていた口を止め、彼女の顔を覗き込んだ。
「ごめんね?」
「なんで謝るのよ」
 彼女はソウシの視線を避けるようにそっぽを向くと、紅茶がなみなみと注がれたカップを口に運んだ。
 彼女はどちらかというとコーヒー派なのだが、小学生のソウシに合わせていつも紅茶を注文する事を、何度か一緒に映画を観に行ったり喫茶店でお茶をしたりしているうちに気がついた。さり気ない、そして妙に細かな彼女の気配りを、ソウシは可愛いと思っている。
「だって、今日誘ってくれた映画って、ソレじゃないんですか?」
「鋭いのね」
 ソウシの言葉に、彼女は否定しなかった。
「ちゃんと確認しなかったのが悪いんだから、別に良いのよ」
「良くないですよ」
 ソウシは大きく肩を落とした。
「だって、ボクと観たかったんでしょう?」
 ソウシがそう言うと、彼女は苦笑した。
「ま、仕方ないわよね」
 さばさばとした言葉に彼女らしいとは思うものの、ソウシは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 事の発端はこうだ。
 一週間前、イサミとトシに映画に誘われて、昨日一緒に観に行った。その少し前、彼が家を出かけようとした所に彼女から電話がかかってきて、明日、すなわち今日、暇だったら映画に行かないかと誘われた。もちろん女性からの誘いを断る程野暮ではないので、ソウシはすぐに快諾して、待ち合わせ時間と場所を確認した。
 この時、ソウシは思い込んでいたのだ。
 彼女のことだから、きっとラブロマンス的な洋画をセレクトしているはずで、まさかイサミ達と同じ映画ではないだろうと。
 一方の彼女の方も同様で、きっと彼らが観に行くのは今好評上映中のアニメ映画で、まさか自分が観たいものと同じではないだろうと。
 だから、彼がこれから友達と映画を観に行くと聞いたとき、あえて映画のタイトルまで確認しなかった。彼女としては珍しく、前売り券まで用意していたというのに。
 だから詰めが甘いと言われるのよね、と彼女はため息を吐いた。
「で、何時でしたっけ?」
「何が?」
「その映画の始まる時間ですよ」
 ソウシの言葉に、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「いいよの、無理しなくて」
「でも、ボクと観たかったんでしょう?」
 そう言ってソウシが彼女の瞳を見つめると、彼女は息を呑んだ。ソウシにじっと顔を覗き込まれて、彼女の頬が徐々に火照ってきているのが分かる。
「それに、面白かったからもう一度観たかったし」
「うそ」
「嘘じゃありませんよ」
 ソウシは何処からかバラを取り出して、彼女に差し出した。途端、彼女の顔は、トマトのように真っ赤になる。
 本当に可愛い人だなぁ、とソウシは思った。
「でも……」
 彼女は、まだ迷っているようだった。本当はソウシの言葉に甘えたいが、それは彼女のプライドが許さないのだろう。
 視線を彷徨わせる彼女に、ソウシは笑みを浮かべた。
「ボクも貴方と観たいんですよ」
 その言葉に、彼女は隠すように両手で顔を覆って、俯いた。
 バカ、と小声で呟く。いつも落ち着いた雰囲気の彼女の言葉と違い、その声は上擦っていた。きっと恥ずかしいのだろう、とソウシは思う。
「あんたって、いつもそうね」
 銀と同じだわ、と言葉を続けたので、ソウシは首を傾げた。
「何がです?」
 しかし、その問いに彼女は答えなかった。
「なんか、調子が狂うのよ」
 そう呟いて顔を上げた彼女の頬は、先程よりは薄らいだものの、まだ紅く染まっていた。
 少し困ったようでもあり、それでいて嬉しげでもある複雑な表情を浮かべている。
「実はね、他にも観たかった映画があるの」
「何ですか?」
 彼女が口にしたタイトルは、ソウシもよく知っていた。ワイドショー等で主演俳優が来日した様子などがレポートされていたし、父が経営している本屋・雪見堂の店頭には、その映画の見所などを特集した雑誌が店頭に並べられている。
 興味はあったが、映画館まで足を運ぼうという程ではなく、TVで放送されれば観ようと思っていた程度だった。
「どっちにしようか迷って、結局アレにしちゃったんだけど、どう?」
「できれば吹き替えがいいな」
「もちろんそのつもりよ?」
 彼女は右目をつむって、ソウシに微笑んだ。
「でも、そうしたら前売り券、もったいないですね」
 そう口にして、突然気がついた。
 昨日イサミ達と観に行った映画は、巨大怪獣やロボットこそ出ないものの、特撮を駆使した時代劇だった。といっても敵は妖怪みたいなものだったから、時代劇というには語弊があるかもしれない。一方、彼女が口にしたタイトルは、大人のラブロマンスを軸にした洋画だったから、宣伝内容を見る限りでは、自分はともかくとして『ガンバマン』が好きなトシやイサミには、というか大抵の小学生には退屈かもしれない内容だった。

 ……だから、彼女が前者のタイトルを選んでいたとしたら。

「やっぱり、最初に言っていた映画にしましょう」
 突然、ソウシが話を戻したので、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「だから、それはもういいのに」
「よくないですよ」
 ソウシが少し拗ねた様に、彼女を見上げた。
「チケットが勿体無いじゃないですか」
 そう言うと、ソウシはカップを口に運んだ。彼女もカップを口元に運ぶ。
 暫く沈黙が続いた。
「じゃぁ、こうしましょう」
 ソウシは中身を飲み干してから、言葉を続けた。
「今から映画館に行って、時間が良い方を観ませんか」
 ここから映画館までは、歩いて5分程度で行ける距離にある。
「なにもその二つからじゃなくても良いから、開始時間が近い映画を観ません?」
「なんだか行き当たりばったりね」
 ソウシの言葉に、彼女は眉を寄せた。しかし口元は笑っている。
「私、あのホラー映画は嫌よ」
「ホラーもの苦手でしたっけ?」
「そういうわけじゃないんだけど」
 彼女は、何か思い出したのか、眉間に皺を寄せて答えた。
「銀の奴が、確か、今日の3回目のを7号と観に行くとか言っていたから」
「冷やかしに行ってみます?」
 真面目な顔をして呟いたソウシの言葉に、彼女は苦笑した。
「自分から藪を突付きに行かなくてもいいでしょ」
 それから、その時の様子を思い出したのか、彼女はくすっと笑った。
「ったく、傍から見ても相思相愛なのに、本人達は全然気付いていないんだから」
 彼女の言葉につられて、ソウシも苦笑する。
「そういや鈍そうですもんね、こっち方面は」
「やっぱりそう思うでしょ?って、どっちの方面よ」
 二人して、声を上げて笑う。
 彼女は、黙っていると切れ長の瞳のせいで性格がきつそうに思われがちだが、笑っていると華やかさだけでなく柔らかさをも感じさせた。彼女を花に例えるなら、薔薇よりもヒメユリのようだとソウシは思う。
「じゃ、行きますか」
 ソウシの言葉に促され、彼女は腰を上げた。
 レシートを持って先に会計に向かう彼女の背に、ソウシは言葉を投げかける。
「でも、ルリ子さんも同じだと思うけどなぁ」
「え?」
 よく聞き取れなかったらしく、彼女は振り向いて首を傾げる。
 ソウシは彼女に駆け寄って、彼女にしか聞こえないように小さな声で呟いた。
「ルリ子がとても可愛い人だってことですよ」
「……バカ」
 ソウシの言葉に彼女は冷静に返したが、手にしていた財布をぽとりと床に落とした。

<終>


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 前回の話が、前向きに終わったものの暗い展開だったので、今回は明るい話にしてみました。
 というか、ほのぼの。デート中の1シーンといった感じです。
 今回は「彼女」という三人称のみで話を進めながら、それが誰か確定できる要素を小出しにして、最後の台詞で誰だかはっきりさせる形にしてみました。まぁソウシ君とデートしている状況で誰かバレバレなわけですが(笑)。
 それはさておき、私がソウシ君に抱いているイメージはこんな感じです。あくまでフェミニスト。小学生のわりに紳士、といった具合で。でもまだ小学生だから、敬語と丁寧語などが時々使い分けきれていなかったりとか。
 実は今回の話を思いついたのはホオズキ亭+C'sさんのTOPを見てだったりします。
 「2つの華と影」というイラストなんですが、そのルリ子ちゃんを見て、今回の話の冒頭の一文が、ぱっと頭に思い浮かびました。まぁ、はるか先生はとりあえず脇に置いとくとして、になっちゃいましたが(苦笑)。  ちなみに、ルリ子ちゃんを例えるのに出てきたヒメユリというのは、オレンジぽい色の百合です。夏に咲く花で、花言葉は「誇り」。
 あと、ソウシがイサミ達と観に行った映画は『魔界転生』がイメージです。洋画の方は特にモデルはないのですが、時期的に『シカゴ』かなぁ……。となると、銀ちゃん達が観に行ったというホラー映画は『ボイス』という(笑)。