首筋を冷たい風が撫でる。
 吐き出される息は、綿菓子のように白く浮かび、消えていった。
 呼吸をする度に冷え切った空気が肺に流れ込み、身体の内側から凍えさせていくようだ。
 しかし烏丸ヒロコは、胸の奥底から湧き上がる熱い感情が体中を駆け巡っていたので、吹きつける北風が頬を激しく叩いても、一向に気にならなかった。瞳は輝き、頬がポッと紅潮した様は、まさに、地に足がついていないとしか言いようがない。彼女の全ての神経は今、一緒に並んで歩く青年に向けられていた。
 もし、この様子を、普段の姉御気質な彼女を知っている部下や同僚が目撃していれば、かなり驚いたことだろう。そして翌日には、社内中に噂が広まったかもしれない。
 しかし幸いにも、日付が変わったばかりの商店街では、人影は殆ど無かった。シャッターは全て閉まっており、外灯と、店先に飾られたクリスマスのイルミネーションだけが二人を照らしていた。
「寒くないかい?」
「いえ、大丈夫です」
 自分に掛けられた言葉に、ヒロコは首を振った。
「ごめんね、こんなに遅くなっちゃって」
 彼女の隣にいる青年・田能久健は、白い息を吐き出しながらすまなさそうに謝った。
「いえ、そんな。こちらこそ、ご馳走になっちゃって……」
 緊張のあまり上擦った声になったが、ヒロコの言葉に健は柔らかな笑みを浮かべる。
 田能久健は、芹沢ジャパンの女子社員の憧れの的だった。大きな瞳と少しウェーブのかかった髪が柔らかな印象を与え、程よく鍛えられた身体は、モデルのようにすらりとしている。しかしそういった容姿だけではなく、若くして本社専務取締役に就いているのだ。女子社員が騒ぐのも無理はない。しかしいくら会長の親戚筋だからといっても、実力がなければそのような地位に起用されない事を、ヒロコは身をもって知っている。
 だから彼は、彼女にとっては、あくまで別の世界の人間だった。今まで直属の上司でなかった所為もあるのだが、彼がどういう人間か全く興味がなかったし、他の女子社員がはしゃいで彼の話をしていても、自分には関係ないと聞き流していた。上司として有能か否か。それだけだったのだ。
 ……ほんの数ヶ月前までは。
 まるで夢のようだと、ヒロコは健の話に耳を傾けながら、ぼんやりと思った。
 つい最近まで、彼女は度重なる任務の失敗の責任を取らされて、降格されていた。だが昨日、ついに元の役職への復帰が奇跡的に叶ったのだ。だから、世の中クリスマスなのに夜遅くまで残業に追われても、文句は言えないだろう。
 ようやく仕事を終え、コンビニで小さなケーキでも買ってアパートに戻ろうとした所へ、同じく残業していた健から食事に誘われたのだ。彼とこうして連れ立って歩いたり、一緒に食事をすることを夢見たことはあっても、まさか現実になるとは思いもよらず、彼女は自分の幸運を強く噛み締めていた。
「でね、烏丸くん」
「はい?」
「クリスマスのイルミネーションとか、好きかい?」
 唐突な質問に、ヒロコは思わず首を傾げた。
「よく見える良い場所があるんだけど、どうかと思って」
「い、行きます!」
 健の誘いにヒロコは大きく頷いて、二人は並んで道を急いだ。



 レスカビル前に飾られた大きなツリーが、煌びやかな光を放っている。
 ヒロコは、屋上の手すりに手を付いて、眼下に広がる光を見つめた。
 大通りのイルミネーションだけでなく、街灯や家々の灯りが闇に浮かび、大江戸市全体が光に包まれている。
 見上げると、夜空には大きく欠けた月が浮かんでいた。そしてその周りには、地上から見上げたときには朧だった星々がはっきりと輝いている。
 夜空にも地上にも、星の海が広がっていた。
「灯台下暗しっていうけど、結構、知らない人が多いんだよね」
 健はそう呟くと、白い歯を見せて笑った。
 まさか彼の言う穴場が芹沢ジャパン本社ビルの屋上だったとは思いもよらず、それなりに長くこのビルで働いているのに初めて知った事実と煌びやかな景色に、ヒロコは子供のように歓声を上げた。
「とっても綺麗ですね」
「そう?」
 ヒロコの言葉に、健は頬を上気させて笑みを浮かべた。
「十年くらい前の今頃かな。サボりに来て、たまたま見つけたんだ」
「へぇ」
 健もヒロコの隣に立って、一緒に街を見下ろしている。その視線は、ビルの真下にあるイルミネーションに注がれていた。
 ビルの正面にある大通りは、両脇に街路樹が並んでいるが、その街路樹にもイルミネーションが付けられ、点滅している。
 眼下に広がる光を見つめながら、ヒロコは、胸の高鳴りを押さえながら、隣にいる健の横顔をこっそり盗み見た。
 いつも通りにこやかな表情を浮かべているものばかりと思っていたものの、彼は眉を少し寄せてイルミネーションを見つめている。その横顔は、まるで親の帰りを待ち焦がれて一人寂しく留守番をしていている子供のようだった。職場で見慣れているのとは正反対の表情に、ヒロコは見てはいけないものを見たような罪悪感に捉えられ、慌てて視線を眼下に戻す。
「烏丸くんは」
「はい?」
 突然彼に声をかけられて、慌てて健の方へ向き直った。
「いや。その……何でもないよ」
 そう口ごもると、彼は、視線をヒロコからレスカビルの方へ移した。
「あのトナカイのイルミネーション、可愛いよね」
 彼が指差すイルミネーションを、ヒロコは目で追った。
「えっと……あれ?どこにあります?」
「ほら、ツリーの反対側の辺りの、茂みの向こう側」
「サンタの辺り?」
「そのサンタの、少し右側に、ほら」
「あ、あった!」
 ヒロコは、彼が言っているイルミネーションをようやく探し出して、小さな歓声を上げた。
「ちゃんと鼻が赤い電球なんですねぇ」
「いろいろあって、楽しいよね」
 ヒロコは両頬に手を当てて、頷く。そして、レスカビル前に立っている大きなツリーを指差した。
「動物も可愛いけど、私はやっぱり、ツリーが一番好きですね」
 そしてヒロコは、実家に居た頃、妹や弟達と一緒にツリーの飾りつけをしていた事を話した。
 その話を、健はとても楽しそうに聞いていた。
「じゃぁ、一番上の星を付けるのは、いつも烏丸君の担当だったんだ」
「でも、弟がいつもやりたがって、椅子とか持ってくればいいのに、無理に背伸びしたり、飛び上がったりして、もう大変だったんです」
「あはは。弟君の気持ち、何となく分かるかなぁ」
 当時のことを思い出したのか、少し怒った口調になったヒロコに、健は苦笑いを浮かべた。
「そういや銀天狗さまは、どんなイルミネーションがお好きですか?」
「うーん。実はね、あんまり好きじゃないんだ」
 昔は好きだったはずなんだけどねぇ、と伏せ目がちに呟いた健を見て、ヒロコは自分がとんでもない失敗をしたのではないかと不安に駆られる。そんなヒロコの焦りを知ってか知らずか、彼は言葉を続けた。
「小さい頃は、あの灯りが全て欲しいなって思ってて」
 健の横顔に、眼下に広がる色とりどりの光が反射していた。
「手に入れば、僕もあの灯りの中に入れるんじゃないかって思ってた」
 そんなわけないのにね、と呟くと、彼はイルミネーションで飾られたツリーに視線を下ろした。
「小学生の頃に両親が死んでさ」
 彼の口からぽつりと吐き出された言葉に、ヒロコは内心ドキリとした。彼女も高校生の時に、両親を事故で亡くしていたからだ。
「もし最初から知らなければ、気にしなかったかもしれないけど。でも、生半可に思い出が残りすぎていたから」
 彼は少し困ったように眉を寄せて、手すりに肘を付いた。
 彼の気持ちは、ヒロコにはなんとなく推測できる。
 今まで当たり前だった光景が、二度と戻ってこないと気付いたときの喪失感。それは、言葉では説明しにくい。だがようやく日常生活には慣れても、年に一度の行事には、思い出さずにはいられない。ましてや、その記憶が楽しければ楽しいほど。
「親戚のクリスマスパーティに呼ばれても、友達と一緒にわいわい騒いでも、昔みたいにあの灯りの中に入れないって、取り残された感じがいつも残ってて」
 そして、軽く溜め息を吐いた。
「ああ、もう戻れないんだなって思っちゃって」
 そう呟いて、ヒロコに視線を戻す。
「だからかな?」
 そう言って浮かべた笑みは、どこか辛そうに見えた。
 彼の抱えている想いに、ヒロコには身に覚えがある。けれども、それが遠い昔の出来事のようにしか思い出せないのは、自分は一人ではなく、妹や弟たちが居たからだろう。そして、ある程度は大人で、なんとか彼らを大学まで行かせる資金を稼ぐのに必死で、感傷に浸る暇もなかった所為もあったのだと思う。
 しかし彼の方は、当時のヒロコよりも大分年下だった。優しい親戚に囲まれていたとはいえ、孤独感は拭いきれなかったはずだ。
 彼は、いつも、どんな時でも笑顔を浮かべていた。
 だが、常に笑顔なのは無表情と同じだ、と誰かが言っていた。今は亡き母の言葉なのか、上司の嫌味だったかは覚えていない。しかし、もしそうだとすると、彼はその穏やかな微笑の下に、ずっとやり場の無い孤独感を抱えていたのだろうか。
 ……彼にとって、四天王は擬似家族ではないのか。
 ふと、そんな考えがヒロコの頭の中に浮かんだ。
 父と、歳の離れた兄と妹。彼にしてみれば、他の三人は、ちょうどそんな感じだ。だから、毎回懲りずに繰り広げられている、からくり天狗とヨロイ天狗の口喧嘩も、彼にとっては、横暴な兄と負けず嫌いな妹が喧嘩しているようにしか感じていないのかもしれない。
 そう考えると、普段の彼らの様子が、妙に納得できた。
 ヒロコは、スカウトされたのがきっかけで、弟達の学費を稼ぐためにも好都合だった黒天狗党に入った。だが、もし彼が四天王であり続ける理由が、それだとしたら。卑怯な手段が嫌いで、正義感の強い彼がどうして黒天狗党にいるのか、腑に落ちるような気がした。
「ごめんね、変な話しちゃって」
 健は苦笑を浮かべた。
 ヒロコは、そんなことはない、と返事をしようとしたが、いつもと同じ彼の明るい口調に声が出せなかった。例え今、どんな言葉を投げかけたとしても、冷たい風と共に流されて、彼には届かないのではないか。そんな気がする。
 躊躇っていると、ふと、昼間、百円ショップで買った物を思い出した。慌てて肩から提げたショルダーバックに手を入れ、中をかき回す。すぐに目的の物は見つかり、そっとバックから取り出した。
「でも、私たちは、もう小さな子供じゃないですから」
 ヒロコは、手にしているものが彼にもよく見えるように、そっと両手を胸元に差し出した。
「あの光に入りたくても入れないのなら、作れば良いんですよ」
 ヒロコの柔らかな言葉に、彼は少し目を丸くして、彼女の両手に視線を落とした。 
「自分で作ればいいんです」
 彼女の両手に収まっているのは、クリスマス用のアロマキャンドルだった。白い不透明なコップ型のガラスに、ピンク色の蝋が詰まっている。
「マッチとかあれば、様になったんですけど」
 生憎、彼女はタバコは吸わないので、火をつける道具は持ち合わせていない。だから、子供のように唇から少しだけ舌を出して、苦笑した。
 健は、小さなキャンドルを見つめたまま、何度か瞬きした。
 そして、そっと彼女の手に収まったキャンドルに触れた。その芯に、人差し指と中指を重ねる。
 その指先で、空気が揺らいでいた。そして、とても小さな淡い光が集まる。黒い光だ、と思った瞬間、ポッと音がして、キャンドルに、赤い小さな炎が灯った。
 健はそっと手を離すと、愛しそうに灯火を見つめた。
「こうやって……?」
「ええ」
 ヒロコは声をあげそうになったが、何事もないように笑みを浮かべて、頷く。
 話には聞いていたが、彼のチカラを直に見るのは初めてだった。恐らくこれが、彼にしか使えないと噂に名高い電光流の技なのだろう。
 キャンドルの小さな炎が、二人の顔を照らし出した。そしてゆっくりと、甘い桃の香りが二人を包んでいく。
 柔らかな髪が触れそうな程、健の顔はヒロコに近寄っていた。しかしそれに気付く様子もなく、輝く彼の双眸にはキャンドルの炎がゆらゆらと揺れている。
「ほら、ちゃんと光の中に居るでしょう?」
 予想以上に接近している彼の顔に動揺しながらも、ヒロコは子供に絵本を読み聞かせるように囁いた。
「うん。そっか、そうだね」
 何度か頷いて、健は、キャンドルを持つヒロコの手を、両手で包み込んだ。彼の温かい手と、すぐ側で自分を見つめるその眼差しに、ヒロコは、手にしたキャンドルを取り落としそうになる。
「炎に近いから、ちょっと熱いね」
 しかし、彼が口にした言葉は、随分と子供っぽいものだった。
 思わず、ヒロコの口元から笑みがこぼれる。それを見た彼もまた、ヒロコと同じ笑みを浮かべた。
 二人して、クスクスと小さく笑い合う。
「これからも、一緒に頑張ろう」
「はい。打倒、しんせん組ですね」
 ヒロコがそう頷くと、健は白い歯を見せて笑った。
 そして、キャンドルにフッと軽く息を吹きかける。
 炎は、音も無く消えた。
 甘い香りを残して、辺りは再び闇に包まれる。
 二人は、手をつないで、出口へ向かって歩き始めた。
<終>

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 同人誌「SINCERELY」が完売したので、そちら用に書いた小説を加筆修正してサイトに掲載してみました。といっても文章を一部いじくっただけなので、話の内容自体は変わってないのですが。
 DVD発売された時の冬コミ合わせの本だったので、クリスマスネタです。
 銀ちゃんが両親と死別しているという今回の設定&話は、井上ぽんさんのイサミ同人誌のフリートークを見て思いついたものだったりします。
 なので、いつもはアニメ設定で書くのですが(といってもアニメでは実は名前以外はほぼ謎だったりする銀天狗ですけども)、今回のみ「銀ちゃんは両親とは死別している」設定にしてみました。普段は両親健在という設定で書いているんですけどね。
 逆にヒロコさんは、ドラマCDで「見ていて母さん。見ていて父さん。ヒロコは……ヒロコはきっと幸せになるからね〜ッ」という台詞から、両親ともに死別してるという設定にしています。健在だったらこんなこと言わないよネ……?で、長女で苦労してそうなので、弟妹がいる設定にしてみたり。